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規準

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「ウィトゲンシュタインにおける規準概念の形成過程」(1996) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/24581 「ウィトゲンシュタイン入門」1995/01/19刊*1とかぶる部分が多い。 *1:http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480056207/

「痛み」が「規準」・「他人の心」の問題ではなく「自分の心」の問題とはどういうことか

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雨が降っているとしか記述できない状況は、雨が降っていることの規準である。 同様に、怒っているとしかみなせない状況や、痛がっているとしかみなせない状況は、「怒り」や「痛み」の規準である。 しかし、怒りや痛みは、怒っていないのに怒った演技をした…

行動主義・規準・他人の心自分の心

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痛み、とは、痛いという私的な実感でもなければ、痛いという心理状態のことでもなく、痛そうな振る舞いとともにあるもののことである、とはいえ、それは痛そうな行動を痛みとみなす行動主義ではない。痛みとは(痛み概念の周辺には)、痛そうな振る舞い、痛…

痛みは対象の名前ではない

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「痛み」は「表出」だ、と言われても、それだけだとなかなか納得しにくいというか、自分でそういうことを言っても、そういうあらかじめある思想を当てはめてるだけ以上には思えないでいましたが、「内観の対象知覚的解釈に対する批判」、つまり、「痛み」は…

前中後晩に一貫していること

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ウは、前期と後期でかなり異なった思想を持っていたと言われています。同時に、後期の代表的著作は前期の代表的著作を理解して初めて理解されるだろう、ということをウ本人が書いているように、前期後期に一貫する問題意識があったことも確かです。『入門』…

中期から後期へ

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文法における語の位置がその語の意味である、と私は説明したい。 しかし、語の意味とは意味の説明が説明するところのものである、とも言える。 (中略) 意味の説明は語の使用を説明する。言語における語の使用こそがその語の意味である。文法は言語における…

規準と兆候6

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ウdィトゲンシdュタインの「規準」(Kriterium,criterion)という概念は、それが『青d色本』で術語的な仕方で、「徴候」(Symptom,symptom)の概念との対比とともに導入されて以来(BBpp.24-25)〔i)、ウdィトゲンシdュタイン哲学の最も重要な概念のひとつとして、…

規準と兆候5

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まずこれを読みます。 http://d.hatena.ne.jp/zhqh/20110101/p1 次にこれを読みます。 http://d.hatena.ne.jp/zhqh/20110105/p1 上に続く議論はこうです。 「しかしここで次のような場合を考えてみよう」 私はテレビを見た。と思ったのだが、それはどう見て…

規準と兆候4

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ここで主張されているのは、たとえ感覚印象がわれわれを欺くことがあるとしても、欺かれて信じたのがまさに「雨が降っている」ということであって別のことではない、という事実は「定義(あるいは規約)に基づく」のだという考えである。しかし以下に論ずる…

規準と兆候3

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基準が満たされていても、その命題が真でないことは起こりうる。たとえば、机の上に本が二冊あることを自分の目で十分に確かめたにもかかわらず、手を触れた途端にその本が消えてしまったというような場合は、ありそうにないことではあるが、論理的には可能…

規準と兆候2 規準の変化

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『言d語と認d識のダdイナミズム』つづき。クワdインの章に入って、ウとクの違いについて概観が述べられる。ウは、中期の「文法」や晩期の「世界像」でも、経験以前のものと経験で決まるものとがはっきりと分かれている。「世界像」では違いがあいまいになっ…

規準と兆候1

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雨は、飲料水、農業用水などとして、人間の生活においてきわめて重要な役割をもっており、それゆえ、雨についてわれわれの「常識」もまた、生活の中で重要な役割を果たしている。そこで、例えば次のような場合を考えてみよう。銀河系におけるある種の事情に…

規準と兆候0

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たとえば、地面がぬれていることは雨が降ったことの兆候であり、気圧計が気圧の顕著な低下を示すことも雨が降っていることの兆候である。しかし、「雨が降っている」としか記述できないような視覚印象や、「雨にぬれる」としか描写できないような身体感覚な…

素朴な「像」理論の問題点の解決

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命題は事実の像ではなく「意義」の像である。 「事実」:実際に成り立っていること。 「意義」:「事態」。成り立ちうると考えられること。事実の「可能性」、「論理的な場所」。 パリの法廷で自動車事故が人形で再現されたことにアイデアを得たというエピソ…

素朴な「像」の理論批判

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『ウィトゲンシュタインの「はしご」』つづき。 意味の心象説(言葉の意味とは心に浮かぶ像(のようなもの)だ)批判は、青色本など(後期以降)でよく出てくるので目にしやすいですが、それ以前に、「論考」以前の段階での意味に関する問題がある。 「富士…

どういうふうに考えるか

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どういうふうに考えるか、などということは、目標として掲げるものでもなければ、特定のときに基準として掲げるものではなく、その場その場で考えるべきものなのかもしれませんが、のちの自分から批判されることを想像しながらでもメモしておくと、やはり、…

疑いレベル メモ

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規則に対する人間の行動の一致(「+」をクワス演算(たとえば、結果が9000兆以下だと足し算と同じだが9000兆以上になると5になる演算)とみなして振舞う人はいない) ムーア命題(私の手は存在する。私は月に行ったことがない。地球ははるか昔から存在する。…

「ゲームが異なる」とは言えない?

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多くの論文を読んでいるわけでもないですし、ひとつの論文をちゃんと読めているわけでもない、のだから、ある本に対して違和感を感じることは、単に視野が狭かったり自分の狭い好みに合わないことがわかるだけ、だとは思いますが一応メモしておきます。(素…

「現実への適用」の2側面、前期の「写像」「検証」と後期の「実践」(1)

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『ウィトゲンシュタイン入門』より 前期から中期へ 要素命題の相互独立性→「文法」による命題間の内的関係(黄色であれば青色ではない) (前期)要素命題の真偽は、事実と比較されることにより決定する(「真理関数」の理論)(「外的」な関連) (中期)要…

「「知っている」と言えない」とはどう言えないのか

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1 中村昇『ウィトゲンシュタイン ネクタイをしない哲学者』(白水社)を読んでいます(読めていません)。 全部で280ページほどの本なのですが、100ページを越えてもすいすい読めて全く盛り上がりが無いので困ったなぁと思っていたところ、124ページでいきな…

語ることを可能にする条件について語る

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語ることを可能にしている条件がある。これらの条件が成立(存在)しているからこそ、語ることができる。この場合、語りの中で、この条件について語るとは、どういうことか。ウィトゲンシュタインはこの条件を、語りえないと言った、のだと『ウィトゲンシュ…

「「りんご」はりんご(そのもの)を意味する」

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「「りんご」はりんご(そのもの)を意味する」という文章において、「「りんご」」の意味するもの、と言われている「りんご(そのもの)」は、「りんご(そのもの)」を意味しえていない。「りんご(そのもの)」と表現した時点で「「りんご」」と同じもの…

論理は語れる(鬼界さん)のか、語れない(永井さん)のか

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論理について明示的に語らなくても、何かを語ることのうちに示されることは確かにあるが、その「示されること」は語ることができないことではない。人間の言語は「極大性言語」(表現力が極大の言語)であり、「およそ語りうることは明晰に語りうる」のであ…

怒り、怒りの前段階、について

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http://d.hatena.ne.jp/Hermann_Hesse/20090711/p2 『怒りというのは内的な状態のことではなくて、表に現れている怒り言動そのものだ』について考えました。僕もその通りだと思いますが、説明が足りないように思います。ピュアに怒りの感情はあると思います…

内観の対象知覚的解釈に対する批判と独o我論

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『入門』P140 抜き書きメモ 自分の身体感覚や意図や願望は、外界の対象に対する知覚と同じように扱うことはできない。外界の対象は主体にそのまま現れるわけではなく、誤認の可能性があるが、身体感覚や意図や願望は、主体にあらわれるがままにあり、誤認の…

確実

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言葉の意味が真偽の認識や信念から独立していないとすると、懐疑論はそもそも有意味に主張できるかどうかが怪しくなる。意味を確定しておいて事実を疑うことができなくなるからだ。たとえば、一〇〇年前の地球の存在を疑う人は、そもそも地球という語の意味…

検証から文法への移行と志向性

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検証から文法への移行における志向性の関係の仕方がいまいちよくわからない。 言語を現実と比較する(写像・検証)という考えから、文法への移行において、最初のとっかかりとして志向性があった、ということですが、文法という考え方それ自体で写像・検証か…

「語れず示される」ことを語られても理解できることについて

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『ウ入門』より。 「「りんご」はりんごを意味する。」 上の文では、括弧に入っていないほうの「りんご」が既にこの文章が言おうとしていることをしてしまっており、この文章では言おうとすることが言えていない。言語が世界の像であることは、言語表現から…

『ウ入門』前期部分より 「語り得ぬもの1」のうちのふたつめについて

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言語は世界の写像だが、言語が世界を写像しているということ自体は言語で表現できない。 「「りんご」はりんごを意味する。」 上の文ではそれが表現できているような気になるが、括弧に入っていないほうの「りんご」が既にこの文章が言おうとしていることを…

感情・表出

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五〇六 好意的な口、好意的な眼。人は好意的な手というものをどう考えるのだろうか。――多分、拳ではなく、開いているものとして。――人間の髪の色を好意の表現として、あるいはその逆の表現として考えることができるだろうか。しかし、そのように提示されると…