2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

日記

日記と書きつつ日記を書いていなかった。 日記を書く必要があるような気がします。 本当は日記を書かなくて済むなら書かなくて良かった。 日記を書けないと思い日記を書かないままだったからなのかどうかいまだに日記に未練がある。

「相手と共通の土俵のない独自の趣味」

「私は中学生の時に、谷村新司やさだまさしを好むような人間には絶対なるまい、と決心したもんね。なぜかは忘れたけど。」p−347 ――特徴的なのは「なぜかは忘れたけど」である。独断的価値判断を下しながら、理由を示して発言に責任を取ろうとはしない。…

「フェミニズムの歴史を知らない人のフェミdis」を「神」を信じている絶対正しい我々が神に代わって断罪

フェミニズムの歴史を知らない人のフェミdisを読むと、「神よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」という聖書の文句を思い出す http://twitter.com/okisayaka/status/513368194497536001 こういう姿勢が、自分が何をし…

人それぞれなのか人はみんな同じなのか

病気はしないほうがいいから病気にならないように気をつける、のは当たり前のことだ、と思います。 病気をするのは嫌だ、だから病気をしないようにしよう、病気をしないようにして病気にならなかった、病気にならなくて良かった、です。 この場合、先天的・…

手を上げる

(事故、マッドサイエンティストによる手術等により)手を上げようとすると足が上がり、足を上げようとすると手が上がる、ようになってしまった人が、訓練して、手足を意図通りに操作できるようになった。 この人は、手を上げたいときには足を上げようと意志…

「お前は間違っていて俺は正しい。お前は自分の誤りを理解しろ」というメッセージの必要性

この場合、わからないしわかる気もない、ということが、むしろ、求められている。 最初から相互理解などあり得ない。そんなものを目指していないから。 「理解しろ」というのは、お前は俺を理解しろ、という意味ではなく、俺はお前を絶対理解しない、という…

意志

「手が上がる」と「手を上げる」は違う。 「手を上げる」から「手が上がる」を引くと、何かが残るように感じられる。 それは「手を上げる意志」ではないか、と一応は思います。 では「手を上げる意志」とは何か。 目を閉じ、手を上げようと思い、手が上がっ…

素人いい気日記

人殺しがたくさんある日常より、ほとんどない日常のほうがいい。 ここ数百年、人が人を殺すことなど起きたことがない、大昔にはそんな時代もあった、なんという野蛮な動物時代だったことだろう、今はそんな時代じゃなくて本当に良かった、と思えるときがいつ…

自信と努力

自分の弱点を受け入れてそれを何とかしようと思うことができるためにはそれ以外の部分での自信とか基本的な自信が必要なのではないか、という考え方をAとします。

わからない

時代や場所や状況は隔たっていても(隔たっているのか?)「何事のおわしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」がギャグだというのはわかる。

実感が先、実感は後

これいい!と思うことが出発点のことしかない、のではないか? 最初に、これダメだ……と思ったことが、だんだん良くなってくる、いろいろ考えたり知っていくうちに良いとわかってきた、ということなんて、本当はない、のではないか。 ということは、最初の印…

良いこと、悪いこと、平常心

悪いこと、嫌なことにばかり目を向けてることは、よくないことのように思える。 いろいろなことが人生には起こるが、いつも平常心でいることができれば、と思うことはよくある。 自分の力には限界があるし、運もある。苦しいことが起こっても、苦しみをじっ…