2014-12-01から1ヶ月間の記事一覧

感情は自分に敵対するものとして表れる

というのは嘘で、楽しかったり嬉しかったりする感情は自分に味方しているから、怒りや悲しみのような嫌な感情はおきてほしくない気持ちがある、という程度のことなんだと思います。 正しいこと、考えればこうすべきだとわかること、こうした方がいいと思える…

なぜ人が悪い理由を考え続けてしまうのか

ってわかり過ぎるほどわかっているのでした。 普段の社会生活下では自分が圧倒的な劣位に置かれそれを意識させられている・意識している、からで、せめて自分の考えの中では他人より優位に立ちたいという気持ちがあるからなのではないか、と思います。 しか…

自信とは何か

自信はいいものだと言われているのだからいいものだと考えるべきなのかもしれない。 自信を何か悪いものだと考えてしまうのは、人が何か悪いと思われる行動を取ったとき、その原因を、その人には自信があるから、だと考えているからで、それがおかしい。のか…

人は幸せなだけでは決して満足しない2

以前、人は幸せであるだけでは決して満足せず、その幸せが称賛されることを望んでしまう、と書きましたが、また同じ状況に遭遇しました。 幸せな人は幸せなのだからそれでいいはずです。まさに幸せなのだからそれ以上望みようもない。 のかというと、やはり…

心の支えとしての家族

心の支えとしての家族は、それが自信を生むという意味では、否定的な気持ちにしかならない。 一般的には、自信は良いものとされている、ように思えるが、自信が良く作用しているところをほとんど見ない。 特に家族を根拠とする自信は、私には害しか与えたこ…

自分の正しさを主張し相手の非を指摘する

相手の正しさを主張し自分の非を指摘する。 相手の正しさを主張し自分の非を指摘する場合、なぜ相手の正しさを主張しなければならないのか、ということが問題になる。 なぜなら、正しさを主張する相手に遭遇した時いつも感じるのは、なぜそこまでかたくなな…

優しさ

丹波哲郎さんが亡くなったときに林屋ペーさんが「私みたいな者にも話しかけてくれる優しい人だった」っておっしゃっているのをテレビで見て「うははは笑。話しかけるのが優しいやて笑。さすがお笑いの人はこんな時でもギャグ言うんやなぁ笑」と思ったのをは…

怖い人はなぜ怖いのか

と思っていたのですが今日なんとなくわかりました。 私は何が怖いのか、夜道で出会う人の怖さとか、駅のホームで今後ろから押されたら終わりだなと思うときの怖さとか、いろいろ考えましたが、なんとなくわかりました。 私は、怖い人が怖いのではなくて、人…

苦しみのみが

満足してはいけない現状というのがある。 あのとき危機感を持っていたから今の良い状態がある、と思えるときがある。 そう思えるのなら、苦しみのみが充実を与えてくれる、ということの意味も、なんとなくわかる。 同時に、いまの自分の現状に感謝して幸せを…

この写真の良さを説明する

苦しみにしか実感がない

苦しいのは嫌だ。苦しいことはないほうが良い。 でも、苦しいときと、その苦しみについて考えているとき、その状況を存分に味わっているように思える。 いや、そうではなく、苦しいときと、その苦しみについて考えているとき、があり、それに対し、苦しみな…

笑い

「笑い」について次のような実験がある。目隠しをした被験者の手のひらに、1gのおもりを乗せる。次にそれを2gのおもりに取り替える。順番におもりを重くしていき、突然軽いおもりを載せたときに被験者は笑うそうである。また、最後に載せるおもりが軽いほど…

信じるかどうとは全く関係ない話

ほんまにうまくいくんか?と思いすぎると、うまくいくものもいかなくなる。 あるときには、これでうまくいくはずだ、と思ってやらなければならない。 しかし、これでうまくいくはずだと思いすぎると、冷静で適正な判断ができなくなる。 どんな時でも覚めた目…

多くの人が良い気持ちになる

当選する人は一番多く投票された人だから自分の入れた票が無駄にならず当選に貢献できる人が一番多い。この言い方で合ってるのかな。だから選挙をしたら「やった!入れた人が当選した!」と思う人が一番多い。候補者別で考えると。だから選挙をすればするほ…

だから説明すれば説明するほど

だから、科学的に、正しいことを、説明すれば説明するほど、逆効果になる。 その説明が素晴らしく科学的医学的に正しいほど、絶対に納得してはいけない、という力が働く、だろう。 (むしろ怒ったり怒鳴ったりして取り乱してくれた方が、もちろん型通りの軽…

なぜあの人はあのようなのか、私はああでないのか

私は最初からそうだったんですけれども、信じようと思っても信じられない、私ならとても信じられないような変なことを信じきっている人という人がたくさんいまして、政治的にも、思想的にも、宗教的にも、医学的にも、ねずみ講的にも、そういうのはいろいろ…

「特定の宗教の立場に立たない宗教史学。この近代西欧的な学問が明確な形で生まれたのは、ファシスト期のイタリアにおいてであった」

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-4-326-10241-9&Rec_id=1010 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2010/861.html イタリアのラッファエーレ・ペッタッツォーニ(Raffaele Pettazzoni, 1883-1959)はイタリア宗教史学の創始…