怒りが必要な場合

つながれた犬が定期的に電気ショックを与えられる、ことに似た状況が人間に起こると、そうした不当な状況を当然のこととして受け入れる、ということが起きる。
理不尽なことはいろいろ起こる。
何が不当なことで何が当然のことなのか、はっきりと判断できるだろうか。
それはできる。
不当な状況を理解することと怒らないことは異なる。
怒っても何も解決しない。理解は解決に繋がる。
怒りは自己肯定だが、怒りを伴わない自己肯定も当然ある。
ただ、必要な自己肯定感を持てない時、怒りがその助けになることは、あるかもしれない。