規準と兆候2 規準の変化

『言d語と認d識のダdイナミズム』つづき。クワdインの章に入って、ウとクの違いについて概観が述べられる。ウは、中期の「文法」や晩期の「世界像」でも、経験以前のものと経験で決まるものとがはっきりと分かれている。「世界像」では違いがあいまいになってきてはいるが、基本的に、規準と兆候の区別はある。なるほどこの線なら、規準と兆候の違いにおいて、規準の限定的な面を重視する流れがわかる。ような気がする。読めてなくてすみません。なんとなく読んできたつけ、ということでしょうか。となると、規準をどこまで変化可能で、外面的振る舞い的にだけ捉えられるものではなく生活的世界像的に捉えられるか、を考えてみてもよいかもしれない。考えてみると、結局限定的にしか考えられない、となるかもしれない。そうしてようやく『言d語と認d識のダdイナミズム』の出発点に立てるということか。