2007-01-01から1年間の記事一覧

いままでがこうだったからこれからもこうである、とは言えない、という考え

たしかに、「いままでがこうだったからこれからもこうである、とは言えない」という考え方には納得できる部分がある。もしかしたら明日は違うかもしれない、ということは、容易に考えることができる。昨日までのようにはならない、という可能性は、ある。 だ…

「斉一性の原理」という根拠の妥当性

過去に関する陳述によっては、将来何かが起こることに確信がもてない、と言うひとを、わたくしは理解しないであろう。ひとはそのようなひとにこう問うことができよう。いったいあなたはどういうことを聞きたいのか、いったいあなたはどういうことを「確信」…

仮説の確からしさ

ウィトゲンシュタイン『哲学的文法1』(全集3) P312 仮説の確からしさの尺度は、その仮説をくつがえすことのほうを有利にするのにどれくらいの証拠が必要か、ということにある。 過去における同じ型の経験のくりかえしは、この同型性が未来においても持続…

仮説の根拠

ウィトゲンシュタイン『哲学探究』P267 四六六 何のために人間は考えるのか。何のためにそれは役立つのか。――何のために人間は蒸気罐を計算し、その壁の強度を偶然にまかせないのか。ともかくも、そのように計算された小さな汽罐があまり爆発しないのは、経…

仮説の本質

ウィトゲンシュタイン『哲学的文法1』(大修館書店 全集3) P305 仮説というものは、明らかに、像によって説明されるだろう。例えば、「ここに本がある」という仮説を、その本の平面図、正面図、それにさまざまな断面図を示す画像によって、説明することが…

「信念」の基礎、斉一性による理由付けは最初の理由付けを隠す

ウィトゲンシュタイン『哲学的文法1』(大修館書店 全集3) P144 六七 人間は何のために思考するのか。それはどんな役に立つのか。なぜ人はボイラーの壁の強度を、偶然に、あるいは気まぐれにまかせないで、計算するのか。計算して作られたボイラーはそう…

色の無い物について

http://d.hatena.ne.jp/zhqh/20070920/p1 9月20日の日記に、色が見える仕組み自体には色が無い、と書きました。そこで、色が見えることの仕組みについて少し(googleで5秒)調べてみました。 http://www.ngk.co.jp/site/no121/content.htm http://www.tagen.…

法則の二つの面

石を持った手を広げると、通常、石は落ちます。あるとき、石を持った手を広げると、石が落ちずに空中に浮かんだとします。それを見て私たちは、万有引力の法則の反証データが得られた、と判断するか、というと、そうは判断しません。万有引力の法則、力学の…

『科学的発見のパターン』P260まで。

「素粒子は絵に描けない」ことについて。*1 量子力学的な話の本質や核心については全く理解していないにしても、そのさわりについてはもう十分すぎるほど知っていると思っていましたが(さわりについて十分知っている、という状態は、要するに何も知らない状…

観測から認識へ、認識から観測へ(8/31書き換え版)

http://d.hatena.ne.jp/vjrc/20070831/p1 太陽の問題は、太陽が昇るように見えるか地平線が下の方に向かって動くように見えるか、という問題ではないのではないか。ガリレオやケプラーにも、太陽は昇って見えるはずだ。たとえ昇って見えたとしても、そのこと…

実感の役割

ハンソン『科学的発見のパターン』P38註(P335) 「われわれの感覚的な観察が示してくれるのは、暁方に、地平線と太陽との間の距離が広がっていく、ということだけである。それだけでは、太陽が昇りつつあるのか、地平線が沈みつつあるのかは、わかりはしな…

規則の適用の事例との類似

クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドックス』(黒崎訳 産業図書) P31 ある規則に訴えることから、それとは別のより一層「基本的な」規則に訴えることに移ることによって、懐疑論者に答えるという事は、魅力的である。しかし懐疑的な問題提起は、このよ…

「ある出来事が別の出来事の原因であるといった種類の事実は存在しない」のか

飯田隆『クリプキ――言葉は意味を持てるか』(NHK出版)より ヒュームによれば、帰納的推論はすべて、原因と結果の関係――因果関係――に基づいている。同一の原因には同一の結果が伴うという規則性があってはじめて、機能的推論は信頼できるものとなるからであ…

実感と法則

物を押すと押した方向に動く、ということは法則以前の実感だ、として、物の動きと物の動きを起こさせる力との関係については、法則となり得る(たとえば、)とすると、何らかの方法によって導き出された法則が、当初の根底的実感だったことと反する結果にな…

それ以外考えられない根底条件と法則

前回、「押したら物が動く」、ということに関しては当然のことであり、わざわざ、「物は押すと動く」ということを法則にする必要などない、「物は押すと動く」ことをわざわざ法則と呼ぶ必要はない、と思われるが、それに比べ、「どのような力で押すとどのよ…

因果関係と仮説

以前、法則は、すぐ見てわかるようなこと、ではないこと、わかりにくいこと、に対して言われるのではないか、というようなことを書きましたが、それと関連するかもしれない文章を読みました。 リモコンのボタンを押すと、それが原因となってテレビ放送の開始…

データがあってそのあとに仮説が生まれる、のではないのかもしれない、ことについて

多くのデータ → 気づき → 仮説 → 観測(検証) → 法則 という段階を経ているとする。 少し補足する。 観測1 → 多くのデータ1 → 気づき → 仮説1 → 観測2 → 多くのデータ2 → 検証 → 法則 うさぎの場合 観測1 → 多くのデータ1(多くのうさぎ) → 気づき…

「観測データから仮説、という話はどうしても統計の話になってしまうような」

仮説を立ててデータを取って検証する、というのは統計絡みでよくやられていると思います。でも、データの取り方で何とでもなるような気がします(未来のデータは一応想定内だけれど、そこまで責任持たなくても良いという感じ)。具体的に仮説を検証するには…

仮説の成立、仮説の検証、仮説の正しさ

たとえば、今までに観測したうさぎはすべて白かった、だから、すべてのうさぎは白いのかもしれない、と想定した、とする。そこで「うさぎは白い」という仮説を立ててみた。そして、この仮説が正しいかどうか検証するために、観測してみた。観測を続けると、…

仮説はどこからくるか

立てた仮説が検証を経て法則になり、その法則によって現実の予測が可能になる、のだとしたら、仮説はどこからどのようにして出てくるのだろうか。 あらゆる認識は観測から始まる。だから、たとえ仮説だとしても、観測結果から得られる何か、以外のことが、仮…

2種類の斉一性

斉一性が想定されていなければ、前回はAだった、今回もAだった、だから、次回も、過去も、これからもずっとAではないか、という帰納的考え方は成り立たない。だから、斉一性は、帰納が成立するために必要な条件、前提ということになる。 一方、なぜ、自然は…

根本的な斉一性

太陽が毎朝東の空から昇るという法則においては、自然の斉一性を問題とするには不十分で、自然の斉一性が本当に問題になるとしたら、いまなら、万有引力の法則とか、相対性理論において、ではないか、というようなことを前回書いたが、それは何故だろうか? …

仮説が誤っている可能性と自然の斉一性

太陽は毎朝東の空から昇る、という法則がある。これまで太陽は毎朝東の空から昇ってきた、だからこれからも毎朝東の空から昇るだろう、という法則である。この法則は自然の斉一性を前提とした法則であり、明日の朝は太陽は東の空から昇らないかもしれない、…

法則の作られ方

科学的帰納。これもクラスのいくつかの要素の特徴にもとづいて全クラスにその特徴があるという結論を出すのであるが、この場合にはその特徴が全クラスの所有であるといえるように、諸要素の間の本質的結合を発見していることを基礎とする。そこで、科学的帰…

法則、帰納、自然の斉一性

用語の意味を理解していなかった、というわけなので、ここで帰納と自然の斉一性について少しまとめます。 帰納とは、「個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則を見出そうとする推論方法のこと」で、「個別・特殊的事実の多さから結論がどのくらい確か…

法則に「自然の斉一性原理」を付け加えることについて3

<上の式に、自然の斉一性原理を付け加えなければ、法則として成り立たない、予測ができない。自然の斉一性原理がなければ、上の式は、未来には成り立たなくなくなるかもしれない。だから、上の式には自然の斉一性原理を付け加えなければならない。> しかし…

帰納

世界的微小「グルーのパラドックス」入門 「帰納主義の問題」猿でもわかる哲学史 科学哲学の冒険:サイエンスの目的と方法をさぐる 「帰納の諸問題」 帰納推論を、「これまで帰納推論はうまくいった」ことを理由に正当化することもできない。テツオ「その「…

法則に「自然の斉一性原理」を付け加えることについて2

y:ボールの位置(y位置、地面からの高さ) g:重力加速度 t:時間 v:ボールを投げ上げた速度(鉛直上向きに投げ上げた速度) p:初期位置(初期y位置、地面からの高さ) この式は、鉛直上向きにボールを投げ上げたときのボールの動きを表現する式(法則)です。…

法則に「自然の斉一性原理」を付け加えることについて

法則には、法則本体とその適用範囲がどこまでか、というふたつの側面がある、と考えることができる。物の動きについての法則なら、ものの動きを表現する簡単な表現と、その表現はいつからいつまでなりたつのかどこまでならなりたつのか、というふたつの側面…

「自然の斉一性」

「自然界で起きる出来事は全くデタラメに生起するわけではなく、何らかの秩序があり、同じような条件のもとでは、同じ現象がくりかえされるはずだ」という仮定。推論の一種である枚挙的帰納法を成立させるために必要な前提として、18世紀スコットランドの哲…