2種類の斉一性

斉一性が想定されていなければ、前回はAだった、今回もAだった、だから、次回も、過去も、これからもずっとAではないか、という帰納的考え方は成り立たない。だから、斉一性は、帰納が成立するために必要な条件、前提ということになる。
一方、なぜ、自然はそのまま進む、という斉一性が想定できるのかというと、今まで自然を観測して来た結果、斉一性があるように感じられるからで、こういった、今までがそうだったからこれからもそうだろう、という考え方は、帰納である。だから、斉一性が想定できるのは、帰納によって、ということになる。
このようにして、帰納と斉一性は、それぞれ一方が他方を支えている、と考えられる。


単独の事実を見るだけでは、斉一性は問題にならない。斉一性は、同じことが続く、という性質のことだから、同じということ、共通の性質が、複数の事実について、問題になっていなければならない。だから、斉一性は、複数の事実における共通の性質、を考えるときに初めて問題になることであり、法則についての性質ということになる、ということか。帰納法は、個々の事実がバラバラではなく、ある種の法則性=斉一性を持っているということを前提にして、その法則性を導き出す方法である。
ここで、2種類の斉一性が考えられるように思われる。ひとつは、個々のバラバラな事実について、帰納が成り立ち、そこに法則性が見出されるのに必要な条件としての斉一性である。もうひとつは、そのようにして見出された法則が、すぐには変化せず、法則として成り立ち続けるという斉一性である。法則性に当てはめられる前の個々のバラバラな裸の事実について、それらの事実がバラバラではなく共通で一定不変の性質を持つ、ということを見出すために必要な斉一性と、その一定不変共通の性質が、過去も観測していないときも今後も不変でありつづける、という斉一性、のふたつである。これは同じことを2度言っているだけ、混乱しているだけ、だろうか。同じではないが、このふたつを、特に分けて考える意義がないほど些細なことだろうか。あるいは、重要な問題だろうか。