帰納

帰納推論を、「これまで帰納推論はうまくいった」ことを理由に正当化することもできない。

テツオ「その「正当化」はちっとも正当化になってないよ。だって結局、キミって、「帰納的推論はこれまでのところうまくいってきた。だから、これからも使って大丈夫」って言っているんでしょ。これじたい、帰納的推論じゃない?」p.70

帰納推論を帰納的に正当化しても、それは循環論法になっているだけ。(資料2)

 自然の斉一性が正しいのは、「これまでそうだった」という帰納的推論が正しいから

 帰納的推論が正しいのは、「自然は恒常的である」という自然の斉一性が正しいから


 自然の斉一性    帰納的推論


→ヒュームの答え:帰納的推論は、心の習慣のようなもの(論理的な根拠はない。資料4)

帰納の問題の「解消」

* 日常言語学派…ストローソン(1919-2006)ら

→日常的な言葉の使い方を分析すれば、ヒュームの帰納についての懐疑論は解消される(問題ではなくなる)

→そもそも、我々が「合理的」という時に日常的にやっている事とは?

=ある主張を証拠に基づかせる、という行為

帰納の問題の「解消」

つまり、帰納原理そのものが、我々の持っている根本的な合理的な原理の1つ。だから、帰納原理を用いている科学は十分に「合理的」と言えるのでは

反論)しかし、これはヒュームの帰納への懐疑を真正面から答えていない

我々は帰納原理を用いることによって、一般的な正確な予測が可能なのか?に答えない

帰納のプラグマティックな「擁護」

※結論。世界がどんな状態であったとしても、帰納法を用いて得るものはあるが、失うものはない。

世界が済一的なら、帰納を用いた方がいい。

世界が済一的でないなら、帰納を用いても用いなくとも変わらない。

グッドマンのグルーパラドックス

つまり、帰納するときに入る述語には、

投射可能なもの(上の例ではグリーン)と、

投射不可能なもの(上の例ではグルー)がある




グッドマンのグルーパラドックス

この部屋にある鉄はすべて展性がある

世界にあるすべての鉄には展性がある  法則性あり

この車両で私の両隣に座っている人は皆5月生まれ

この車両に乗っているすべての人は5月生まれだ  

               これは単なる偶然的一般化↑

結論:グルーパラドックスは、帰納推論に用いられる述語の投射可能性や、普遍量化文の法則性の問題を浮かび上がらせる