『科学的発見のパターン』P260まで。

素粒子は絵に描けない」ことについて。*1
量子力学的な話の本質や核心については全く理解していないにしても、そのさわりについてはもう十分すぎるほど知っていると思っていましたが(さわりについて十分知っている、という状態は、要するに何も知らない状態ではあるのでしょうが)、知っていると思っていただけで、今までウッカリしていたのか理解する能力がなかったのか、さわりすら全然理解していなかったことに気づかされた、ということかな、と今日思いました。
物体の結合力を説明するのに鉤状の原子を想定した人の誤りについては中学生のときも習ったような記憶がかすかにあるのに、普通の物体(机やうさぎなど)の性質をそのまま素粒子にも当てはめて考えてしまっていたことについて無自覚だったようです。たとえばりんごが赤色に見えるのは、りんごを構成している分子や原子の性質によるのであり、分子や原子が赤い色をしているからりんごが赤色に見えるわけではない、わけです。りんごを構成している物体が赤いからりんごが赤く見える、と言うことも可能ですが、それで解決になったとは普通は考えません。りんごを構成している物体が赤いからりんごが赤く見えるのなら、りんごを構成している物体が赤いのはどのような仕組みによるのかについて説明しなければならないことになります。りんごを構成している物体が赤いその仕組み自体は、もう赤くない、のであり、その仕組みは、赤くないことこそが本質的、なわけです。つまり素粒子も、そのように理解されるべきであって、位置と速度が同時にわからないのがどうこう、とか、粒子のようでありながら波のようでもありどうこう、とかいうのが不思議ダナァ……、ではなくて、位置とか速度とか大きさとか、そういった、机やきのこのような普通の物体にある性質を持っていないことこそが本質的、つまり、「素粒子は絵に描けないことこそが本質的である」、のだそうです。ちょっと間違って理解している部分もあるかもしれませんが、これは初めて理解する内容のように思い、興奮しました。

*1:考えが進まないため考えたことを書くことができず、このまま物の動きダイアリーが終わってしまいそうなので、終わらせないために本題にはあまり関係のない内容についても日記として書くことにしました。すみません。