「自然の斉一性」
「自然界で起きる出来事は全くデタラメに生起するわけではなく、何らかの秩序があり、同じような条件のもとでは、同じ現象がくりかえされるはずだ」という仮定。推論の一種である枚挙的帰納法を成立させるために必要な前提として、18世紀スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒュームによって導入された概念
自然の斉一性という言葉が示す内容は、具体的にはいくつかのバリエーションがある。
- 「他の条件に変化がない限り、自然現象はいままで通りに進んでゆく」(時間)
- 「地球上の自然の法則は、宇宙のどこでも働いている」(場所)
自然科学の基本的な方法である帰納法で実証を試みても、帰納法そのものがこの原理を前提にしているため、実証は不可能である。現行の自然科学は、基本的にひとまずはこの原理を仮定することによって成り立っている。すなわち、アブダクション(発見)→仮説「全てのF(F1、F2、F3……)は〜である」→予測「どのようなFも〜である」→予測に相応する観察「F1は〜である」という一連の仮定の根底に、この原理が置かれるわけである。(帰納の項も参照)
しかしながら、この考え方は科学の基礎でもある。いかなる現象も、体験的に得られる知識の延長上で理解しようとするものだからである。今までに知られていない現象を発見した際に、それを説明するために新たな法則や原理を導入すれば、その説明はたやすいが、あえてそれをできるだけ控える事で科学は進歩してきた。たとえば地質学や古生物学の初期に、斉一説が唱えられている。これは、地層の形成や化石の生成を古代に存在した大事件で説明しようとする天変地異説に対して、それを否定し、過去の現象も現在の日々行なわれている現象の積み重ねで説明できるとするものであった。地質学や古生物学はこの学説の下で進歩し、多くの現象がそのような流れの中で理解できるようになった。その知識の積み重ねの上で、それでも天変地異があった事を認めたのがたとえば大隕石の落下が恐竜を滅ぼした、といった説になってくるのである。一足飛びに天変地異に飛びついたのではこの説の説得力は認められまい。
演繹(deduction) 演繹ではない推論(広い意味での帰納 induction) 枚挙的帰納法(狭義の帰納) アナロジー アブダクション 例 <前提1>
AならばB、である。
<前提2>
Aである。
- -
<結論>
Bである。<前提1>
a1はPである。
<前提2>
a2もPである。
- -
<結論>
(たぶん)全てのAはPである。
<前提1>
aはPである。
<前提2>
bはaと似ている。
- -
<結論>
(たぶん)bはPである。
<前提1>
aである。
<前提2>
Hと仮定すると、aがうまく説明される。
- -
<結論>
(たぶん)Hである。
情報量 増えない。
(結論の内容は全て前提の内容に含まれている)増える。
(結論は、前提に含まれていた内容を超える内容を持つ)真理保存性 ○
(正しい演繹的推論は、前提が正しければ、必ず結果も正しい)×
(前提が正しくても、結論の正しさは保障されない)