法則の作られ方
科学的帰納。これもクラスのいくつかの要素の特徴にもとづいて全クラスにその特徴があるという結論を出すのであるが、この場合にはその特徴が全クラスの所有であるといえるように、諸要素の間の本質的結合を発見していることを基礎とする。そこで、科学的帰納では本質的結合関係を明らかにする方法がもっとも重要となる。
http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/induction.html
実際には科学者って呼ばれる人々は枚挙帰納法とはもう少し違う方法論でものを考えているらしい、そう言われます。それが仮説演繹と呼ばれるものです。呼び名に演繹とはついていますが、データから仮説を導きだし、観察によって確立していくという点で、これはむしろ帰納法の一種であると見なされています。
また科学者は枚挙帰納法で仮説を見つけていると言われたことがありますが、これもどうも怪しいようです。科学者が仮説を見つける時にやっていることはしばしば演繹でもなければ帰納法でもなく、仮説発見というもののようです。
仮説演繹というのは帰納法の一種であるといわれます。これは、
データを説明する仮説(あるいは理論)を考えた
この仮説(あるいは理論)と前提条件から演繹して考えるとある結論、予測、あるいは予言を導くことができた
そのような結論、予測、予言は観察や実験で確かめることができる
そこで、実際に確かめてみる
このことで最初に導き出した仮説(あるいは理論)の確からしさを検証する
というものです。この方法論は予言を導き出すところは演繹ですが、予言が正しいかどうか観察例を集める点で帰納的です。そのため帰納法の一種であると言われるそうなのですが、仮説演繹という方法論は科学の世界では非常によく使われます。
(中略)
帰納法は観察の積み重ねで理論や法則をつくるというが、観察と理論の作成との間に論理的に正当化できるようなつながりがあるようにはみえない、幾つかの例からすると帰納が理論をつくりだす適切な手段であることに疑問がある有名な幾つかの科学理論をとって考えると、どうもそれらの理論は事例を積み重ねて結論を得るという枚挙帰納法では導き出すことができない。ようするにこうした科学理論の形成には枚挙帰納法が使われていない
最初に仮説をたてて考えないとそもそも枚挙帰納法が(あるいはその重要なテクニックが)使えない
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/hypothetico-deductive.html
法則と前提条件から予想される現象を演繹する。そして観察や実験を重ねることでその予測を帰納的に確かめて、最終的に法則の確からしさを検証する。それが仮説演繹だとすると、さてはて最初のその法則ってやつはそもそもどこからくるのか?。
(中略)
しかしそうはいっても、そもそも予想をたてなければ検証することができません。そして予想を演繹するためには、その、おおもとになる法則なり仮説なりがなければいけない。そしてなにぶん未知の領域のこととて既存の理論や法則は今ここでは役に立たない。さて困った。どうするか?
既存の法則から演繹して新しい法則を見つけるのか?、はたまた枚挙帰納的に現象を淡々と見つめて一般化を行なうのか?。そうしたやり方が現実的かどうかはともかくとして、どうも科学者というのは、こういう方法論とはしばしばまったく違うやり方で理論や法則を思い付くらしい。それが仮説発見。これは英語だとアブダクションと呼ばれるもので、
おどろくべき出来事Cがある
しかし仮説AならばCを説明できる
だから仮説Aは正しいのではないか?(そして仮説Aを確かめる)
という動作です