データがあってそのあとに仮説が生まれる、のではないのかもしれない、ことについて

  • 多くのデータ → 気づき → 仮説 → 観測(検証) → 法則

という段階を経ているとする。
少し補足する。

  • 観測1 → 多くのデータ1 → 気づき → 仮説1 → 観測2 → 多くのデータ2 → 検証 → 法則

うさぎの場合

  • 観測1 → 多くのデータ1(多くのうさぎ) → 気づき(うさぎは……白い……?) → 仮説1(うさぎは白い) → 観測2(うさぎの色に注目した観測) → 多くのデータ2(色に注目された多くのうさぎ) → 検証(うさぎは白いか)  → 法則(うさぎは白い)

気づきは、観測1およびデータ1から生まれる、ように思える。では、観測1および、データ1は、どのような意図で行われた観測で、どのような意図により得られたデータなのか。もし観測1の時点でうさぎの色に注目する意図があったとすれば、仮説は仮説1より前の段階で存在したことになる。もし観測1の時点でうさぎの色に注目する意図がなかったとすれば、気づき(仮説)は、全くの偶然として生まれたということになってしまう、のだろうか。
うさぎの例がよくないような気がするので、物の動きについて考えてみる。まず疑問や注目点があっての話だろうから、うさぎの例はぼんやりしすぎかもしれない。