2014-01-01から1年間の記事一覧

本心を言う相手、日常的な雑言を言う相手

自分ではない人と話す効果。

結婚できるできないについて話すことの注意

http://d.hatena.ne.jp/zhqh/20141025/p1 結婚・恋愛の相手を選ぶときにあらわれる利己性、建前や道徳ではない本音(そうはいってもやっぱり○○でなくちゃ)としての利己性に根深い思い込み、因習、差別意識が表れる、という問題。

自分がまともではない

自分が人としてまともであるから結婚できたと信じているから、 結婚していない人を人としてまともだと思えないのだ。 http://dare kagakaku.hero kuapp.com/v/2014-10-21 上の文章が目に入ったとき、最初は、下の文章のような文章に見えた。 自分が人として…

笑い

笑うことが大好きなので笑いについて考えようと思います。 一日中重苦しくつらい気持ちの時に、お笑い番組のコントのことを考え、クスッと笑っていた、それしかできなかった時期がありました。 つらい気持ちになったときにも笑えるようになりたい。 つらい気…

どちらかわからない

あきらめずにこの先の上達を信じてがんばるという側面と、自分はこうなのだからそれをしっかり見つめてこういう変わらない自分とどう折り合いをつけていくかをちゃんと考えなければならない、という側面がある。 100を9秒台で走ることを目標にしているという…

私は悪いことをしました

私は悪いことをしました、と言う人がいたら、悪いことをしたことについて責める前に、まず悪いことをしましたと言ったことについてまずほめるのが大事じゃないかなぁとずっと思ってきたのですが、私は悪いことをしました、と言う人がいたら、悪いことをした…

永井さん

コツをひとつ挙げれば、自分の意見に反対することです。自分の意見というのは自然にできてしまいますが、反対の論拠を、考えられるだけ考える。実は他人の意見に反対するほうが難しくて、反論が的外れだったり誤解したりしやすい。自分の意見は自分でよく分…

まともな布教というものがあるとすれば自分が布教されることを80%ぐらい考えながらする布教

しかありえないから、ほとんどすべての布教はまともではない。 この主張をAとします。 布教や主張はあくまで理(自分の理)を推すことなのだから、不備や未確定含めて100%の押し付けがなければ主張にはならない。もちろん自分に間違えがあれば認めるし他の方…

考えの異なる相手の意見を変えるのが目的ではない

では何が目的なのか。

馬鹿にするのでも本気で相手にするのでもなく病気だとみなす

これはより悪質なだけか? 病気は物理的な問題であり蔑視はない。 ただ治療対象ではある。

目的のために手段を……

主張をすることに目的があるとすれば、ただ主張をすることだけにあるのではなく、主張に同意してくれる人を増やすこと、なのではないだろうか。 (だから私は主張なんかしない、という人も多いと思いますが。) だったらその主張が、批判相手との違いを強調…

「隠微な連帯」?それでええやん

「相手と共通の土俵のない、田島氏独自の趣味」における「趣味」とはなにか。 もちろんそれは、「谷村新司」を良くないと思うこと、ではない。 そんなのは本当にただの趣味で、そのことについては問題ではない、と田島氏自身も書いている。 では永井氏の言う…

日記

日記と書きつつ日記を書いていなかった。 日記を書く必要があるような気がします。 本当は日記を書かなくて済むなら書かなくて良かった。 日記を書けないと思い日記を書かないままだったからなのかどうかいまだに日記に未練がある。

「相手と共通の土俵のない独自の趣味」

「私は中学生の時に、谷村新司やさだまさしを好むような人間には絶対なるまい、と決心したもんね。なぜかは忘れたけど。」p−347 ――特徴的なのは「なぜかは忘れたけど」である。独断的価値判断を下しながら、理由を示して発言に責任を取ろうとはしない。…

「フェミニズムの歴史を知らない人のフェミdis」を「神」を信じている絶対正しい我々が神に代わって断罪

フェミニズムの歴史を知らない人のフェミdisを読むと、「神よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」という聖書の文句を思い出す http://twitter.com/okisayaka/status/513368194497536001 こういう姿勢が、自分が何をし…

人それぞれなのか人はみんな同じなのか

病気はしないほうがいいから病気にならないように気をつける、のは当たり前のことだ、と思います。 病気をするのは嫌だ、だから病気をしないようにしよう、病気をしないようにして病気にならなかった、病気にならなくて良かった、です。 この場合、先天的・…

手を上げる

(事故、マッドサイエンティストによる手術等により)手を上げようとすると足が上がり、足を上げようとすると手が上がる、ようになってしまった人が、訓練して、手足を意図通りに操作できるようになった。 この人は、手を上げたいときには足を上げようと意志…

「お前は間違っていて俺は正しい。お前は自分の誤りを理解しろ」というメッセージの必要性

この場合、わからないしわかる気もない、ということが、むしろ、求められている。 最初から相互理解などあり得ない。そんなものを目指していないから。 「理解しろ」というのは、お前は俺を理解しろ、という意味ではなく、俺はお前を絶対理解しない、という…

意志

「手が上がる」と「手を上げる」は違う。 「手を上げる」から「手が上がる」を引くと、何かが残るように感じられる。 それは「手を上げる意志」ではないか、と一応は思います。 では「手を上げる意志」とは何か。 目を閉じ、手を上げようと思い、手が上がっ…

素人いい気日記

人殺しがたくさんある日常より、ほとんどない日常のほうがいい。 ここ数百年、人が人を殺すことなど起きたことがない、大昔にはそんな時代もあった、なんという野蛮な動物時代だったことだろう、今はそんな時代じゃなくて本当に良かった、と思えるときがいつ…

自信と努力

自分の弱点を受け入れてそれを何とかしようと思うことができるためにはそれ以外の部分での自信とか基本的な自信が必要なのではないか、という考え方をAとします。

わからない

時代や場所や状況は隔たっていても(隔たっているのか?)「何事のおわしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」がギャグだというのはわかる。

実感が先、実感は後

これいい!と思うことが出発点のことしかない、のではないか? 最初に、これダメだ……と思ったことが、だんだん良くなってくる、いろいろ考えたり知っていくうちに良いとわかってきた、ということなんて、本当はない、のではないか。 ということは、最初の印…

良いこと、悪いこと、平常心

悪いこと、嫌なことにばかり目を向けてることは、よくないことのように思える。 いろいろなことが人生には起こるが、いつも平常心でいることができれば、と思うことはよくある。 自分の力には限界があるし、運もある。苦しいことが起こっても、苦しみをじっ…

「テクスト的現実」

なんとなく懐かしい気持ちがしたのですが、それは、「表層」以上に、入試「現代文」選択問題の、「本文に書かれていない内容が含まれている選択肢は最初に除く」という解法があったからだと思いました。 『「ボヴァリー夫人」論』の「テクスト的現実」とは、…

誤植

『「ボヴァリー夫人」論』p785 (4)の註「一九五四年一月二日付けのルイーズ・コレLouise Colet宛の手紙」誤「一九五四」 正「一八五四」誤植でなくて読み間違いならすみません……。 他にもひとつ註に年の誤植があったと思いますが忘れました。

おいて

フィクションにおいては、現実の会話における過去の記述においては「前日」とされるのが普通の「昨日」といった副詞はいうにおよばず 『「ボヴァリー夫人」論』p502

誤診

『誤診』と『入門』を読んで「経験的対象」「形而上学的対象」「文法的対象」についてそれぞれ説明し、その違いを述べよ(7日・10点)。

日記

夫人論、問題の「VIII虚構と表象」ですが、なんというかフレーゲさんラッセルさんクリプキさんもそんなに絡みませんでした。まあそりゃそうですよね……。でも他の章のようにこれまで読んできた蓮實さんの蓮實さんらしい話がおし進められそれにもうを開かれる…

思ったより似てる

フローベール・ウィトゲンシュタイン 『ボヴァリー夫人』・『青色本』『哲学的文法』 『「ボヴァリー夫人」論』・『ウィトゲンシュタインの誤診』 松澤和宏・鬼界彰夫 蓮實重彦・永井均 永井さんはウィトゲンシュタイン研究の第一人者というわけではないのか…