良いこと、悪いこと、平常心

悪いこと、嫌なことにばかり目を向けてることは、よくないことのように思える。
いろいろなことが人生には起こるが、いつも平常心でいることができれば、と思うことはよくある。
自分の力には限界があるし、運もある。苦しいことが起こっても、苦しみをじっくり味わうようなことをせず、これはこれで、こういうことが起こっているだけで、こういうことが起こらない人もいるし、こういうことが起こらない時期もあるだろうけど、そういうことが起こることもあるし、いつも常にいいことばっかり起こる人なんてどこにもいないし、まあこういうもんですよ、そしてこういうことが起これば苦しくなることもまた当然のことで、苦しいところまではただの物理現象なんですよ、ただ、それにひたりきるようなことをせず、客観的に、他人事のように、平然と通り過ぎる、苦しみは苦しみで確かに起こってはいるが、それはそういうものとして通り過ぎる、のが大事、のようなことを、ひとまずは思います。
でもその場合、苦しみではなく、喜び、楽しさ、の場合はどうか。
喜びは喜びでうれしいことだから、存分に味わい尽くせば、ひたればいいのか?
喜びにはひたるけど、苦しみは通り過ぎる、でいいのか。
喜びにひたると、苦しみにもひたってしまうから、喜びも苦しみも同じ方針で対応する必要があるのか。
苦しみにはひたってしまうけど、喜びにもひたれるから、ひたったほうが、感情に埋没したほうがいいのか。
苦しみを通り過ぎることができるから、喜びも通り過ぎてしまうけど、通り過ぎたほうがいいのか。(覚触)
やっぱり、喜びにはひたるけど、苦しみは通り過ぎる、のようにその場その場で選択すればいいのか。
そもそも喜びにひたることはいいことなのか。
苦しみを通り過ぎるのはいいことなのか。これはおかしい。苦しいのが嫌だから通り過ぎるというのが出発点なのだから。
となると、そもそも、苦しいのが嫌だから通り過ぎることはよいことなのか、という話になるんですけれども。