思ったより似てる

フローベールウィトゲンシュタイン
ボヴァリー夫人』・『青色本』『哲学的文法』
『「ボヴァリー夫人」論』・『ウィトゲンシュタインの誤診』
松澤和宏・鬼界彰夫
蓮實重彦永井均
 
永井さんはウィトゲンシュタイン研究の第一人者というわけではないのかもしれませんがそういう類似ではないです。
『入門』ではウィトゲンシュタインを紹介するにあたってどこで生まれたとか家庭環境がどうだったとかは重要ではない、と書いていること、『翔太』(『対話』だったかもしれない)では、文章に真意というものがあるとしたら、作者の真意や伝えたかったこととではなく、その文章が客観的に語ってしまっていることだ、というものがあり、これにはまさに「テクスト的現実」が対応する。
鬼界さんの「スレッドシークエンス」は、「生成論」(松澤さん)に該当する。
草稿などを調べることは大事だけれどもそれが最も重要というわけではなくあくまで決定稿を重視する。
『夫人論』の「テクスト」の可能性を「テクスト」に沿って限界まで読みこもうとするとする姿勢は、『誤診』でウィトゲンシュタインの考え方の方向やエッセンスをそのままさらに押し進め可能性を汲みつくそうとする読みに対応する。
ボヴァリー夫人』の決定稿ははっきり決めがたい、ということも、『探究』をはじめとしてウィトゲンシュタインの著作の決定稿が『論考』以外存在しない、ということに対応する。