苦しみにしか実感がない

苦しいのは嫌だ。苦しいことはないほうが良い。
でも、苦しいときと、その苦しみについて考えているとき、その状況を存分に味わっているように思える。
いや、そうではなく、苦しいときと、その苦しみについて考えているとき、があり、それに対し、苦しみなど何もなく、ただ過ぎているだけのときがあると、再び苦しい状況になったとき、その何もなかった時間は、ただ過ぎているだけの、その状況を味わいきれなかった、その状況に対する感度が低かった、何もわかっていない状況だった、ような気がする。苦しいときの方が、いろいろわかることが多かった、ような気がする。
でも、そんなはずはない。
苦しいときはむしろ苦しさだけに意識が向いてしまい他のことを何も感じられなくなってしまっているから何も味わえていないともいえるし、苦しさだけが充実ではないどころか苦しさこそ充実と呼ぶにふさわしくない状況なのではないか。
なぜ苦しさだけが充実や感度の高さの実感になるのか。楽しさや喜びこそが充実につながらないのか。