非合理的(と思われること)が主張される時

1+1はなんで2なの。1+1は1かもしれないじゃないですか。
というようなことがたまに主張されるが、それを認めたらどうなるのか。
それを主張する人は主張したことによってどんな利益を得るのか。
それを認めたことによって私たちはどうなるのか。
 
効かない薬、効かない療法を勧める人は、効かないのになぜ勧めるのか。
効かない薬、効かない療法を勧める人は、効くと思っている、効くと信じている、効くことを実証的に証明した、から勧める。
効かないし、効くと信じてもいないし、効くと言ったら誰かからお金をもらえる、わけでもないのに、ただ効くと主張する人はいないだろう。
そういう人がいたとしても、私にはまだわからないが、なにか特になることがあるはずだ、と思うしかない。
効くと主張し、効かない薬、効かない療法を選択する人が、選択するに至った経緯には合理性がある、あらざるを得ない。
あらざるを得ないというか、現に選択しているのだから、それに至ったことは現実で、それを否定すればそこに至ったこれまでの経緯(過去)が消えるわけではない。
 
ある主張があってそれに反対する強固な主張がある。どちらも十分理解可能で現実的です。
ある主張を、理解できない、と思うときは、単に目をふさいでいるだけ、ということになる。
理解できないことはある。理解できないからといって、消せるわけではない。