怒りの対象になった時

怒り行為は強い自己肯定感を伴った示威意志によって行われる。
そのため、自分が怒りの対象になった時、受け流す、ということが難しい。
強い意志を持った激しい攻撃にさらされたとき、心理的にはどうしても防御的、対抗的にならざるを得ない。
そのため、相手の怒りに対し、自分の怒りを対置してしまいやすい。のか?
怒りは、強い自己肯定感を伴い、力、力を持った感覚、を得やすい。
ただ、基本的には、怒ったっていいことなんか何もない。
相手の怒りに対し、何もしない、ただ流される、ということが可能だろうか。
こうなったら誰でも怒るだろう、という怒りに至った経緯を想像して、相手の怒りを対象化する……。
いや、いま問題なのは、自分が怒り対象になったときの自分のこわばりの問題だ。
だから、すべきなのは、怒り対象になったら誰でも防御的姿勢をとってしまうだろう、という自分の気持ちの対象化でした。