撤回できる批判、受け入れられる批判

批判も賛成も本当にはできない、もしくは、批判対象も賛成対象も批判や賛成を受け付けない独自のものがある。
とはいえ、批判や賛成自体もまた、独自の存在理由がある。
批判は何のためにするのか、賛成は何のためにするのか、を考えると、どう批判や賛成すればいいかわかる。
批判も賛成も、絶対に、またはできるだけ、感情を混ぜないようにすべきだ。
批判された側が、「あっそうかなるほどな、じゃやめるわ」と何のためらいも躊躇もなくすぐ思えるような批判であること、それが大事。
むしろそれだけが批判を、批判する意味のある批判とする。
(もちろんそうではない批判もあるだろうとは思いますが。)
批判側も「あっまちがってたわ。やっぱこの批判やめる」と何のためらいも躊躇もなくすぐ思えるような批判であることが大事。
言ってしまったからもう後には引けない、そんな批判はしないほうがいい。
批判対象を道徳的な悪に固定し徹底的におとしめる、そんな批判しか見ない。
そんな批判は怒りや憎しみしか生まない。怒りや憎しみを増やすことが目的なんだからそれでいいよ、という人はあまりいないのでは?
これは、批判だけでなく、賛成の場合も言えることです。
賛成された側が、「そうかもしれないけど考え変わったからやっぱやめるわ」と何のためらいも躊躇もなくすぐ思えるような賛成であること、それが大事。
賛成側も「あっまちがってたわ。やっぱこの賛成やめる」と何のためらいも躊躇もなくすぐ思えるような賛成であることが大事。
賛成対象を道徳的な善に固定し徹底的に人格的にほめあげる、そんな賛成が多い。多くはないかな。
そんな賛成は喜びや連帯感しか生まない。喜びや連帯感を増やすことが目的なんだからそれでいいよ、という人はあまりいないのでは?