捏造された露悪的な本音

私も何もないんですよ。頭も悪い腕力もない経済力もない仲間もいない。だからこそ神とか仏に頼るのやめましょうよ。私もがんばってるんですよ。そこで世間は絶対信じないけど私たち選ばれた少数派だけが知っている絶対正しい神がものすごく魅力的に思えるのはわかりますよ。でもあなたたち以上に何もない弱い私がそこで神にすがらずにがんばろうとしてるんですよ。私にできるのならあなたたちにもできますって。あなたと私は仲間じゃないですか。本来なら最も信頼できる仲間じゃないですか。頭が良い人たちは頭がいいんだからすぐに力を持つし力を持てなくても何より大事な自信や余裕やセンスや優越感を持てますよね。あなたや私はそれができませんよね。わかります。すごくわかります。私は何をやってもだめだし何をしなくてもだめです。本当につらいですが。それがこの世の現実です。でも少しでもよくなろうと自分でできる範囲でできることをやろうと頑張ってるわけじゃないですか。それをですね。祈ることだけが大事だ、これだけが正しいんだ、これを信じてない人は何をやってもだめなんだ。うまくいってるように見える人は前世でこれを信じていたんだ。ダメな人は信じないからだめなんだ。ってそういうこと言っててむなしくならないですか。そういうことじゃないでしょ。いや、わかりますよ。もうそれしかない。そこまで追い詰められている。日々厳しい現実にさらされている。それに対抗するどんな手段も持たない。科学や政治や現実を説明してくる人すべてがわからずやの能力主義者だ。よくわかります、ほんとその通りです。なぜできないのか?なぜこう考えないのか?馬鹿じゃないの笑。できる人はみんなそういう言います。なぜできないのかってそんなの決まってます。馬鹿だからできないんです。でも能力主義者は絶対馬鹿にわかるようには話しませんよね。なんか言ってるけど全然わからない。わざとじゃないかと思うけど私らにはわかりません。わからないから何とかわかろうといろいろするけど全部笑われます。何か言っても甘えるなとかかまってちゃんかとか追われる。わからす気はないみたいですよね。まあとはいってもこっちが100%悪いんです。能力の低いこっちが悪い。精神的あまたっれのこっちが悪い。わかり過ぎるほどわかってる。お金の少なさからは誰ものがれられない。日々の現実が常にそれをわからせて来る。相手が悪いとわかればまだ心に余裕を持てる。でもたぶん頭がよくてお金持ちで人生計画ができて仲間を持ってる能力主義者のほうが正しいとうすうすわかってる。だからこそ余計つらい。もうどうしようもない。能力的経済的世間的に強く生きられないならせめて精神的に自由に生きたいがそれもできない。とことん追いつめられている。余裕がなくなりますますすがる。ますますかたくなになる。怒りっぽくなる。頑固に自分の正しさを主張してしまう。それらすべてが能力主義者よりも決定的に劣っている。だからこそもうこれしかない、ここしかない、というギリギリのところにすべてをかけるしかない。それはすごくわかります。本当にその通りです。でもそこで地を這いながら、今後一生地を這いつくばって生きるしかないことを自覚しながらそれでもがんばって生きている人がいるわけじゃないですか。もちろん私もそこまで立派にはいきられません。自分に都合のいい安易な思想を頼りに他人に優越感を感じているみたいなところがいっぱいあります。むしろそれしかない、そのためにいきてるみたいなところあります。でもそういうもんじゃないですか。そういうことを自覚したりしなかったりして生きてるわけじゃないですか。全面的な逆転なんかないわけですよ。根底で他人を馬鹿にして医者を馬鹿にしてただ自分たちだけが正しいものを信じていることだけを頼りに生きて。それしか生き甲斐がなくて。お金も人生もすべてそんなものにつぎ込んで。「それがもしかしたら誤ってるとしたら」という想像の仮定すらできない不自由の中に生きて。それでいいんですか。それがなくても生きている多くの人がいるんですよ。自分の無力無能、そういう自分を見る人々のあの目、逃れられないあの目の中で生きていくこと、ほんとうにつらいですよね。わかります。わかるわけないですか?そうかもしれません。