離脱

マイスター・エックハルト即席bot: 完全なる離脱は、いかなる被造物に対しても、自分をその下に置いたり上に置いたりしようとはしない。離脱は、上にあることも下にあることも望まない。それは何人も愛さずまた憎まず、ただ自分自身であることのみを欲し、いかなる被造物とも同じものであったりまた違うものであったりすることを望まず、あれであることやこれであることを欲することがない。それは、ただ存在していること以外には何も望まない。あれであることやこれであることは、決して離脱の欲するところではない。なぜなら、あれであることやこれであることを欲するのは、何ものかであることを欲することであるが、離脱は無(何ものでもないもの)であることを欲するからである。それゆえ離脱は一切の物事に影響を与えない。
 
マイスター・エックハルト「離脱について」より: マイスター・エックハルト即席bot: 私はまたあらゆる慈悲よりも離脱を称賛する。なぜなら慈悲とは、人が自分自身の外に出て隣人の窮境へと赴き、それによって自分の心を傷つけることにほかならないが、離脱はそのようなことから免れており、自分自身の内に留まったまま、いかなることによっても心を傷つけられることがないからである。何かによって心が傷つくかぎり、その人の心は正しいとはいえない。つまり、すべての美徳を眺めてみると、離脱ほど一点の傷もなく、われわれを密接に神に結びつけるものは他に見出すことができない。
 
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