2種類の反論

とにかく消化には体力を使う。
だから最低でも寝る6時間前を過ぎると食べてはいけない。
寝る前にたくさん食べると消化で体力を使うので寝ても体が休まらない。
空腹で寝ると体を完全に休めることができるため
睡眠時間が短くてもすっきりと起きられる。
 
食べ過ぎると太るが代謝を増すにはエネルギーがなければならない。
だから朝食はしっかり取ったほうが痩せる。
 
朝食を多めにしっかり取る。
昼食も普通に食べる。
夕食は早めにごく軽く済ませるか食べない。
 
夜は空腹を感じるが翌朝しっかり食べられることを想像する。
朝起きると非常に快適かつ空腹なので朝食が実においしい。
夜の空腹感以上に朝の快適感が素晴らしいので
この習慣は定着しやすい。
 
夜食べ過ぎる→
寝ても体が休まらない→
朝起きるとすっきりせず胃腸が重く朝食をあまり食べられない→
午前中調子が悪く眠い午後から本調子に→
スタートが遅れ午後と夜が活動の中心になる→
どうしても夕食が遅くなりたくさん食べてしまう→
最初に戻る→
 
夜食べない→
朝すっきり目覚めて空腹。朝食をしっかり取る→
エネルギーいっぱいで午前中から好スタート→
昼食も普通にとって早めに用事を済ませる→
夜は食べず好きなことをして心安らかに過ごし早めに寝る→
最初に戻る→
 
夜食べないだけで
・夜更かしできず朝型の生活になり健康になる
・時間を有効に使える
最高

 
まず最初に、健康な生活を送る(太り過ぎない、痩せる)という目的は一致した上で、俗説を無批判に受け入れているだけで事実ではない、もしくは、もっと良い方法がある、という反論の方向がある。
次に、健康な生活を送る、痩せる、という目的そのものに対する反論がある。健康よりも痩せることよりも大切なことがある。もしくは、これは行き過ぎた健康主義というもので、もっと適切な段階にとどまるべきだ、という反論。
しかしこの2種類の反論はどこかポイントを外している感じがある。
どちらの反論も、まじめすぎる。
健康な生活を送りたい、痩せたい、に対する反論は、もっと不真面目でなければならないのではないだろうか。なければならないというか、そういうことではなく、もっとだらけてイージーな感じというか。
健康な生活を送る、痩せる、という目的そのものに対する反論も、適切さ中庸さを求める、適切中庸でなければならないと考えることが、強い真面目さや健康へのこだわりを感じる。
だらけてイージーということそのものが、反論に向かない、というか、反論になっていない、反論として成立しない、ということはあるかもしれない。
そういうだらけてイージーになってしまうのが普通の人生だからこそ、あえてわざわざ健康とか痩せるとかを言わなければならないのだから、いきなりそういう逆方向のことを狙うのはおかしい、というような違和感がある、ということだろうか。
という考え方こそ、まず定められた健康志向そのものからしか発せられないのだから、不真面目でだらけてイージーであることが反論として成り立つ、ということは考えられるかもしれない。
これを、健康には心の健康も含むから……と考えてしまうと、健康主義から逃れられなくなる。その場合、利己的でない人間を考えることは不可能、と同じように、健康主義から逃れることは不可能、ということになる。のかもしれない。
健康には心の健康も含むから……と考えてしまうのではなく、健康志向の真面目さとは全く異なるだらけてイージーな生活の良さ、ということを考える、ことは可能だろうか。可能だとは思える。