人望があるのは人格に深みがありおもしろいからなのに何か良いことをしたからなのだと考えることについて

特定の行動が判明しているわけではないが何か良いことをしたからと考え、常にいやぁいやぁとにやついている、ほうが、何も良いことをしてはいないが、ただ単に自然に普通に、深みがありおもしろい人間である、ことを認めるより、難しい、ということだろうか。

ただ単に深みがありおもしろい、ということと、無意識的に良いことをしてしまう(ナチュラルに人を気づかえる等)、を比べると、ただ単に深みがありおもしろいほうが受け入れやすいように思えるが、そうではないのだろうか?

こういうことは『エチカ』の第三部の定理の何番あたりに書いてあるだろうか。書いてないだろうか。