「自分が怒っている」ことを表明することが、自己の正当化になるときと、自分の至らなさを示すときの、2つの場合がある

怒りは強力な自己正当感の原因であり結果でもある。
自分が未熟であろうがとにかく自分は怒るに至った。自分はこんな激しい感情を呼び起こさせられた。
存在するものは合理的、自分の怒りも合理的、これはよくわかる。
と同時に、すぐカッとなるのはやはり未熟だし、怒れば怒りの原因が消えるわけでも喜びの原因へと変化するわけでもない。これもよくわかる。