退路を断つ追い詰め方の意義

『神性喜劇』もしくは大西巨人さんの批判の仕方は、徹底的に退路を断って完全に窒息させるような追い詰め方、が多く見られるように思います。
それがまた痛快でもあり可笑しくもあったりして大きな魅力ではあるのですが、それが当初の問題を、人格の問題へ変えてしまうようなところがあるのではないか、という疑問が初読の時からありました。
なぁなぁで和ませてわきあいあいなんてぬるい、ということになるのかもしれませんが、一応記録しておきます。

これも「批判された結果まさに批判された方向により悪化する」という例。
http://twitter.com/ynabe39/status/460545512530132992