正しいことを教えれば正しいことを学ぶ

「暗黒の時代から「科学」の時代へ、みたいな希望を持てる時代があったが、どうやらそうではなさそうだということがわかってきた。」
ということを人類が最初に思ったのはいつか。
いつの時代にもそういうことはあったのではないか。
すぐに「いつの時代にも」と言ってしまうと、いつでもそうだよ(考えても無駄だよ)、みたいなことになりそうなのでつまらないですが、時代のことはともかく、いまも、いわゆる「迷信」や「疑似科学」、罰が当たるどうのこうの、のようなことを本気で真剣に信じている方々が、もしかすると私も含めて、大勢いらっしゃいますが、そういうことを考えるのは、「私怨」でしかなく、考える必要などないのではないか? そういうことをわざわざ考える「動機」ってなんでしょうか。