「おいしい」という価値

おいしいものを食べたい。おいしいものを食べて、おいしいと思う。
おいしい、ということは独立した価値であり、他の何かを参照しなくても、それだけで価値がある。

  • ある、おいしいもの、を食べ過ぎると、身体に悪い場合がある。
  • おいしいもの、を食べ過ぎると、身体に悪い場合がある。
  • ある、おいしいもの、を食べると、身体に悪い場合がある。
  • おいしいもの、を食べると、身体に悪い場合がある。
  • ある、おいしいもの、は、製造過程に問題があり、作りすぎると、多くの人を不幸にする。
  • ある、おいしいもの、は、製造過程に問題があり、多くの人を不幸にする。

あるおいしい食べ物があり、それは物凄くおいしいのだけれど、食べると必ず身体を悪くする、病気になる、とする。
この場合も、おいしい事自体の価値は残っている。食べ物がおいしいことそれ自体で、食べてはいけないものだ、ということにはならない。
ただ、おいしいということに価値があるからこそ、つまり、おいしいから食べたいと思う純粋な動機があるからこそ、食べ過ぎるのであり、食べると病気になるものでも食べたいという気持ちになる、という面もある。まずいなら単に食べたくないから食べないだけのことであって、食べると身体を悪くするのならよりいっそう食べないだけだからだ。
だから、おいしいということそれ自体は独立した価値を持つかもしれないが、おいしいということそれ自体に、手放しでは喜べない面もある、ということは正しい考え方だろうか?

 
おいしい、ということと、食べたい、ということは分離できますし、そのほうが大事な問題だとは思いますが、それはまた後で。