幽霊は存在しない

幽霊はいません。というより、大人は、幽霊がいるとかいないとか真剣に考えたりしません。
幽霊はいないに決まっているからです。もしくは、幽霊がいるかいないか、などということは、人生において、近くのコンビニに売っている30円のラムネが自分好みの味かどうか、程度のことよりも、はるかに軽い問題に過ぎないからです。
幽霊は確かに存在する、ということについて日夜考えている人が、普通の大人より幽霊に関する造詣が深くなるのは当然のことですし、普通の大人が幽霊のことを侮っていることについて、それは良くない、幽霊を侮ってはいけない、と考えてしまうことは無理のないこと、かもしれません。問題は、幽霊について毎日真剣に考えている人のそういった人間観について、改めて検討する、という問題に関わる労力です。幽霊について毎日真剣に考えている人に対しては、あまり考えない、という姿勢が正しいのであり、たまに考えても、軽蔑する、というのが正しいのです。なぜなら、幽霊について毎日考えている人も、自分たちが軽蔑されていることを知っているし、軽蔑されているからこそ自分たちの活動が成り立っていることを知っているからです。
実は、幽霊について毎日考えている人は、世間のみんなが幽霊について真剣に考えるようになることを、まったく望んでいないのです。幽霊の存在を信じている人は、幽霊が存在しそうな場所に監視カメラを置き24時間態勢で監視しても何も映らないように、幽霊というものが、誰もがそれについて意見を述べ合い知を集結させ深く広い新たな知見へ至ること、にはまったくなじまないことを、よく知っているのです。皆が軽蔑し真剣に考えず際物扱いされていることに憤りつつ、そのことこそを、自分たちの考え方や活動の拠り所としているのです。
だから、幽霊の存在を信じている人に、幽霊の存在に理解を示すようなことを言うと、かえって反発されます。そう簡単に理解されては困るからです。むしろ頭からバカすると、生き生きするのです。
(そのような状況において初めて幽霊が存在することについて毎日考えることができるのですから、今後、幽霊の存在を信じる人が増えるような状況が来たら、その時は、幽霊が存在する、ということの意味そのものが変わらざるを得ません。)
 
さて、問題はここからです。上のようなことだけ考えているのでは、ただのひとでなしです。人を馬鹿にしたり軽蔑したりするのは良くないし、したくないことです。すべての人を肯定したい。理解できないかもしれないけれど、馬鹿にはしたくない、ものではないでしょうか。では、幽霊の存在について毎日考えている人を、どのように考えればいいでしょうか。考えないようになっている状態であるべき、と上で言っているのだから、考えないのが正解なのではないか、と思いますが、考えないのが正解、というのも、なんだか問題ではないでしょうか、とは言っても、生活を送っていると、普段は考えないというのが普通になっているし、たまに考えるというのも普通になっています。こういう行動はあまり良くない行動だからしないようにしよう、あの人はあまり良くない行動をしているけれど、それにはいろいろ理由があるからだろう、私にもその理由があればその良くない行動をとっただろう、のような普通の事を考えるしかないのでしょうか。