疑問が批判の代わりになるとはどういうことか

疑問はわからないということなのだから、何も批判していない。それなのに「わからない」という言い方が批判になるのはどのような仕組みによるのか。
意見を言う方に説明責任、説得責任がある以上、意見を聞く側がわかるように意見を言わなければならない。聞く側がわからなければ、意見を言う方に問題がある。
それも程度問題で、意見を聞く側があまりにも無知であったり、意見を理解する気がそもそもなかったりする場合は、その疑問は疑問でも批判でもなくただの怠惰ということになる。

意見を言う側の意見や説明が納得いかない、そっちはAだからBと言うが私はCだからDだと思うなぜAだからBなのかわからない。
異なる規則に従っているのではなく、同じ規則に従っているはずなのに従い方が異なっている、そんな従い方にはならないだろう、という表明。従っている規則が明白に異なる場合は、そんな規則に従う事自体おかしい、つまり、上位の同じ規則への異なった従い方が問題になる。