できないことへのこだわり

できる場合は、できないことは特に見つめるべきことではないし、見つめるべきことだとしても、できるようになるための途中経過として見つめるべきなのであって、できないことそのものを大事にしたいから見つめるわけではない。できないことはいつかできることになり、そこでまた新しいことをはじめる。
しかし、できないことにとってはそうではない。最初もそうだし、最終的にもできないのだから、できないことをできないこととしてそのまま、できないことそのものを見つめざるを得ない。見つめなくてもよいですが、その場合、できるとかできないとかがどうでもいいところへ行かなくてはならない。かといって何もしないわけにはいかないので、何かをし始める。何かをし始めてできない状態になる。