怒りを生む状況と怒らない意志

人の行動は状況に依存される、とはいえ、意志によって行動を起こしたり起こさなかったりすることもできる。
行動を起こしたり起こさなかったりする意志こそが状況の中から出てくるものであり、状況に依存するものだ、ということも考えられる。
悪口や言い争いでいっぱいの掲示板を常に見て、自分もそこに悪口や言い争いを書いていると、悪口が口になじみ、怒りっぽい人間になる、ということはありそうなことだ。怒ったり悪口を言ったりする人間になりたくなければ、怒らないという意志や悪口を言わないという意志も大事だが、それ以上に、怒ったり悪口を言ったりしたくなるような状況に身を置かない、ということが大事だろう。
怒ったり悪口を言ったりする回路が自分から遠くなれば、仮にそういった状況に置かれても、すぐに怒ったり悪口を言ったりするようなことにはなりにくそうだ。(A)
いや、そうではなく、普段から怒りや悪口に慣れ親しみ怒りや悪口を熟知すればこそ、そういったことに耐性ができ、怒りや悪口を制御できるようになるのであり、怒りや悪口から遠ざかっていると、突然それが起きそうな状況下に放り込まれると、歯止めなしに、簡単に怒りや悪口に染まってしまう。(B)
意識的にではなくBにいるのなら、距離を取れないので単純に怒りに染まっているだけ、ということになりそう。好んでBにいるのなら、やはり怒りに染まっているだけ、ということになりそう。好まずにあえてBにいる、とすれば怒りを客観的に見るという効果はあると思われるが、あえてBにいる意味があまり感じられない。それならAにいればいい、ということになるのではないか。Aにいても怒りと無縁というわけにはいかないから、Aにいて怒りや悪口にとらわれたときに、それらについて考えればよい、ということになる。
そもそも怒りは人間にとって良くないことなのか、怒りは良くないとされるしかないものであって、良い怒り、は、存在し得ないものではないのか、ということについては↓。