赤い色

「赤」という言葉を習うときは、言葉を教える大人や私の心の中に思い浮かべられた赤いイメージから習うのではなく、「郵便ポストの色ですよ」という教え方から習うことしかできないから、「赤」の意味は、郵便ポストに対する適切な反応、ということにしかならない。
 
この時点では確かに、「私が青を見ると青い感じを感じるが、他人が青を見ると私なら赤を見るときに感じる赤い感じを感じているかもしれない」ということはあり得ない。
 
でも、「赤」という言葉を習得して自由に使いこなしている今は、目の前の「No.5」のジャケットが、赤い色から青い色に変化する様子を心の中で思い浮かべることができる。赤い色から青い色に変化する様子を心の中で思い浮かべながら、他人は赤い色のままの「No.5」を赤い色のままの「No.5」として扱う様子が想像できるし、赤い色から青い色に変化した「No.5」を見ながら、まるで「No.5」が赤い色のままのように振る舞う自分を想像することもできる。
 
この状態なら、「私が青を見ると青い感じを感じるが、他人が青を見ると私なら赤を見るときに感じる赤い感じを感じているかもしれない」ということはあり得てしまうのではないか?
 
ここが「青色本」の100歩手前くらいでしょうか。