人に向かわないやりがい

ずいぶん前のことですが母親が、「劇や映画やコンサート行ってもいいけど、ひとりやったらつまらんしねぇ。帰っても、あそこがよかった、とか話す相手がおらんと」と言っていました。
確かに実感としてそのとおりです。
では、実感を別にすると、話す相手がいた場合、といなかった場合、では、自分にとって何が違うでしょうか。それとも、この「実感」がすべて、なのでしょうか。
この実感は非常に強力な力があります。それは間違いない、と思います。この実感だけで十分一生やっていけると思います。友人なり、恋人なり、仕事仲間なり、息子、娘なり、そして、社会、こうした相手とのやりとり、これだけがすべて、むしろこのために何かをしている(手段ではなく目的として…)、なのかもしれません。
では、ここであえて、これを別にした場合、これがある場合、と無い場合、では、自分にとって何が違うでしょうか。無い場合に、つまらなくならないようにするやり方、というのはあるでしょうか。