奥雅博「いわゆるウィトゲンシュタインの「世界像命題」をめぐって」

ウィトゲンシュタインのいわゆる「世界像命題」をめぐる議論とは、彼の最晩年の覚え書きを編集した『確実性について』の93節以下に端を発する議論である。周知の通り『確実性について』に収められた覚え書きは、彼がマルコムの招待によりアメリカを訪問しその帰国後、恐らく1949年のクリスマス頃に書き始められたものから、1951年4月27日、即ち死の2日前にまで亘るものである。「世界像命題」をめぐる議論で理解されているウィトゲンシュタインは、ムーアを手がかりにしつつ、当の命題の反対が考えられないという意味で我々の世界像の根本となる命題の存在を考え、他方この「世界像命題」といえども、時に応じ多少の修正は施される、しかしながらそれぞれの時点では基盤となる命題として経験命題とは区別される、と主張したものとされる。この文脈で受け取られる限り、1951年という時期もあり、クワインの「経験主義の二つのドグマ」にみられる科学理論の改訂可能性を含むラジカルな全体論との対比で多くの議論を呼んだものである2)。
以下この論文で私は次のようなやや大胆な主張を展開したい。第一に、ウィトゲンシュタイン自身は「世界像命題」の存在を積極的に主張してはいない。第二に、覚え書きから引き出される「世界像命題」の候補者の多くは、経験的に誤りであるか、ウィトゲンシュタインの無知・無学を露呈するものであって、とても「科学の基礎的命題」たりえない。第三に、『確実性について』とそれ以前の時期との関係である。渡米中のマルコムからの刺激によって、ウィトゲンシュタインがムーアに対する関心をかき立てられたとする通説は誤りである。第2次世界大戦後から1949年7月の渡米以前にもウィトゲンシュタインのムーアへの関心は持続していたのであって、『心理学の哲学第1部』(1947年)、『心理学の哲学第2部』(1948年)、『最終草稿第1部』(1948年2月−49年5月)、要するに『哲学探究第2部』の元原稿を書いた時期の内容と『確実性について』の内容とに断絶は認められない。一例を挙げるならば、『哲学探究』第?部ブラックウェル版221ページ以下では、「私には二本の手がある」という命題が取り上げられ、「地球には100万年の歴史がある」という主張と、これに対立する「地球は5分前に誕生した」という主張との関係が論じられている。