日記

感謝に値する状況に自分がいることを理解しているとする。感謝してしかるべきだなと思う。感謝しなければならないな、と思う。もしかしたら感謝の言葉を言ったりするかもしれない。しかし全く感謝の気持ちにはなっていないとしたら、それはどういう状況だろうか。感謝に価する状況に自分がいるということを理解していないということだろうか。いや、理解はできる。たとえば、自分はあの人が助けてくれなければ確実に死んでいた。自分は生きたかった。だからあの人が助けてくれたことは感謝すべきことである。これははっきりと理解できる。しかし自分はあの人に感謝していない。あの人にありがとうと自然な気持ちで感じることができない。確かに感謝すべきというのはわかる。感謝の言葉を言うこともできる。ありがとうと笑顔で言う。涙を流すふりすらするかもしれない。しかし感謝の気持ちにはなっていない。つまり感謝しているわけではない。私は最悪の人間だ。私は性格が悪い。私は人間として身につけるべき礼儀がない。そのように思うことが多い。そのように、とは、最悪だ、とかのほうではなくて、もちろん最悪だとは毎日思っていますが、比重として、最悪だ、礼儀がない、のほうというよりは、感謝すべき状況にあることは理解できるが感謝の感情が湧いてこない、のほうを、よく思うということです。なぜでしょうか?


私が言う「ありがとう」はすべてよそよそしく、無理やり言っているように私には聞こえる。だから私はありがとうを言うことができない。私がありがとうと言うと、確実に、ありがとうなんかまったく思っていないことがバレバレのありがとうになってしまうからです。これは統合失調的な感想でしょうか? こころの中を見抜かれる感覚って統合的ですよね。まあそれはいいんですが、まったく感謝の感情がない、のですが、特に両親に対してまったく感謝敬愛的な感情がないのですが、これはどうしたものでしょうか。まあもちろんなんとも思っていないのですけれど、ありがとうが言えない、もしくはこころのこもったありがとうが言えないのは、たぶん単なる礼儀が身に付いてないだけ、訓練の問題だと思います。要は、今はやりのコミュ障というやつだと思います。『私のいない高校』にちょっと感動したので久しぶりに小説をよむきになっていますがウを読んでいるのでなかなか時間がないです