日記

『哲額探休』を読んでいてまず実感するのは、深みなど全くなく、目の前に露出しているものをただただよく見よ、と繰り返し言われている、気になってしまう、ということです。まさにこれは「表層」だと浅はかにも思うわけですが、そういう軽さを悪い意味で利用して、つまり、ただ見ることは本当は相当大変なのですが、そこは軽く通りすぎ、深さや構築のために必要な勉強が足りなくても読めてしまう、むしろ勉強が足りないことがなにか良いことのように思えてしまう、ところがひきつけられる理由かもしれません。