怒りの意味

「怒りの意味」は(怒りの「規準」は)人が怒っているとされる状況であり、脳内の物理的状況ではないが、人が怒っているかどうかを決めるのは、脳内の物理的状況であることもありうる。

怒っているときに、脳内のある部分である物質がある状態になっている(A状態)(怒っている時以外ではその状況にならない)ことが、何度も確認されると、A状態が、怒っていることの指標(規準ではなく判断要素、「徴候」)になることも考えられる。

もちろん、いくらA状態が確認されても、その状態が確認される人がどうみても怒っていない場合は、その人が怒りを隠しているのではなく、A状態になっても怒っていない場合もある、という結論になることは考えられる。あくまでも規準は人が怒っているとされる状況であり、脳内状況ではないからだ。

だからといって、怒りに対して脳内状況がまったく無関係というわけではない。人に心があるかどうか、その人は本当に怒っているかどうかを考えるとき、頭を開けてみたら脳がなくても、脳を開ける前に、その人がどう考えても怒っていたのなら怒っていたのだし、怒っていなかったら怒っていなかった。その段階を経た上で、脳内を状態を問題にすることはできる。さらには、脳内の状態を規準とした新たな怒り概念が形成される可能性さえあるとも考えられる。どんな概念かはわかりませんが。

人が怒るためには脳がなくてもいい、ということと、脳内状態が怒りの判断基準のひとつとなる、ということは、両立する。