日記

人に向かうとその人固有の問題に向かってしまうので出口がなくなる。出口がなくなるというと否定的に思えるが、出口がなくなるというより応用が効かなくなる。応用が効かないも肯定的ではない。その人固有の問題に向かうと話が広がらない。これも否定的だがつまり、その人固有の問題ではなく、他の人にも通用するような、一般的な部分を含む問題を考えると、良悪優劣の問題が出てくる。優劣の前に記述がなければならないが、いずれにせよひとつの流れの中の1地点として捉えることになり、話は広がらざるをえない。むしろ関係や構成が問題の中心になる。こだわる理由がなければ他に興味ある対象に移ればいいし、つまらなくなればつまらなくなったと考えてつまらなくない対象について考えたり、以前はおもしろかったが今はつまらないのでもう見ない、とも言える。その人固有の問題に向かう場合は異なる。いわば親が自分の子に対して向かうような姿勢で臨むことになる。つまらくなったからと言って他に移らない。つまらなくはならない、のかもしれない。どんなに悪い影響を与えられたり他に与えたりしても、他に移ったりしない。(ここまで書いて気づいたのですが、親の子に対する関係差別を行っていたので謝罪します。申し訳ありません。親子の縁を切ることにもまっとうな理由はあると思います。)とても良いことのように思えるが、どうもそれは、話が広がらない姿勢なのではないか、吉本さんの転向論と関係があるような無いような、ハロプロのみなさんに対する絶対肯定的な自分の姿勢を考えて思いました。ハロプロのみなさんが極悪な息子というわけではなく、ハロプロのみなさんは素晴らしいです。これは嘘ではありません。その証拠に私はコンサートに行ったりCDを買ったりライブブルーレイを買っています。