日記

見間違いの効用
あるものを見間違えて別のものとして見るときがある。別のものとして見たときも、それによって考えが促され、それは(これは)おもしろいな、と思える時がある。おもしろいなと思ってよく見てみると、見間違いをしていたことに気づき、そこにあったとおりに正しく見ると、おもしろくもなんともない、普通のものであったりする。このとき、間違えて見てしまったおもしろいものはどこから来るのか。風が吹いて木が揺れ人の形に見えたり、大理石の壁を見ていると人の顔に見えてきたりするように、頭を動かしながら目の端で見たことによる、単なる配置の偶然による連想なのか。偶然でないとしたら、それを見たのは自分なのだから自分が見させたのか。自分がおもしろくないものからおもしろいものを作ったのか。ということは割とどうでもよくて、これは夢について2、3日ほど前考えたことに似ているなと思いました。ここからが本題なのですが、私は今朝かなり大掛かりな夢を見ていまして、夢によくある局所的な場面しか出てこないものではなくいろいろな場面が整合性を持ってできてきてさらに細部も細かく作りこまれており、目が覚めてからもそれが夢だとはっきりするまでかなり時間がかかったほどでした。今はもう24時近くになるのですが昼間夢のことを一度も思い出さなかったにもかかわらず家に返ってきて夢のことを書こうとしたらまだリアルに思い出すことができるほどのリアルさだったのです。その夢はスポーツ新聞の一面から始まりました。朝起きてもう10年も帰っていない実家の玄関の赤いポストからスポーツ新聞を取り出すと一面の半分を占めるような大きな文字で「つんく♂自殺」と書かれていたのです。私はほんとうにショックで息が止まりそうでした。昨晩のリツイート祭りはつんく♂さんがこの世で自分の残した足跡を生の声で確かめていたということなのか、AKB全盛でありハロプロが全然目立っていないことがそんなに大変なことだったのか、つんくさんが死んだらコンサートが一切できないるなるのではないか、コンサートはともかくもうCDは確実に出ないだろう、というよりハロプロ解散じゃないのか、どうするんだ! ハロプロのみんな(みなさん)はあんなにがんばってるのにつんくさんが先にいってしまってそれだめじゃないですか、お子さんはどうするんですか、10期オーデあるじゃないですか、うわぁこれやべーぞどうしようどうしよう目が覚めてもどうしようどうしようと思いパソコンのスイッチを入れブラウザを開けtwitterの検索窓に「つんく」と入れ検索し、ここでポストから出てきた新聞の文字の映像がいま見ているパソコンの画面から断絶したところにあったことに気づき、あれは夢だったのではないか、と気付き始めたと言うわけです。全然大掛かりではないですが夢の話はつまらないのでやめます。本当は自分がいいと思うことが信用できるかどうかの問題について書こうと思っていたのですが夢にインパクトがあったので。