日記

・「風林俗の穴林場」 1997年(74分)大林工原正林樹 ア林テネフ林ランセ
・「赤林猫」 2004年(42分)大林工原正林樹
・「姉ち林ゃん、ホト林ホトさまの蠱林を使う」 2010年(49分)大林工原正林樹
・「純林情No.1」 大林工原正林樹
・荻林野洋林一・大林工原正林樹・万林田邦林敏トーク
・「ア林ンチク林ライスト」2009年 104分 ラ林ース・フ林ォン・ト林リアー 新宿武蔵野館



「風林俗の穴林場」ラストの会話の交錯が圧巻。
「ア林ンチク林ライスト」(最重要ネタばれしていますので注意です)あまり実感はなかった。感動もない。たぶん理解できなかったんだと思います。いろいろ背景知識も必要、なようなことが各評で書かれています。人間の嫌な本質から絶対に目をそらさず見つめる、というのならわかるのですが、それなら電車で痴漢行為をせざるを得なくなってしまう、むしろ電車で女性の尻に向かって射精してこそ、いつでもどこでも相手が肉親でも誰でも射精したくなったらすぐするんやで!そうする者だけが真の人間やで!の大江さんのほうがわかる気がする。性的快感が好きなら性的快感を存分に満たせば良いのであって、それを満たすもしくは目をそらさないためにいきなり相手の性器をつかんだり自分の性器を刺激したりそれを屋外で全裸でする、のが見せ場のひとつではあると思うんですけど、屋外と言って他に誰もいない森の中なので結局広い自室でやってるのと変わりない。この映画には夫婦2人しか登場人物が出てこない。これが非常に大きい。正確に言うと2人以外が画面に映ることもあるのですが、それはプロローグ直後だけで、顔は写っていないし顔以外もおそらく30秒写っていない。この、2人だけ、という圧迫感は、息子が死んだことに関する自責の念や原罪の既視感や盛り上がらなさに比べて全然重い。物語としては、自分の過ちで息子が死んでしまい自分を責める妻をいたわる夫、だと思っていたら、夫婦仲には実は亀裂があり、妻の論文は中世(?)の女性への虐殺や悪魔をテーマにした危ない内容で妻はそれに取りつかれており、夫のセラピーは妻を治療するどころかそうした妻の本性(性的なのめり込みも含めて)をあらわにしていくだけであり、次第に夫も優しく癒すというよりはもともと持っていた傲慢で暴力的な傾向があからさまになりただただ説得でねじ伏せようとするに至ったところで妻の暴虐を引き起こし遂には息子が死んだのは事故ではなく妻のほとんど未必の故意だったことが明かされたところで夫が妻を見捨てることで生きる力を得て妻を殺し終わる。このような女は妻であれ殺すしかない、というのもじゅうぶん絶望的なラストですが、さらに妻を殺して終わることすらできず、この妻のような女はまだ多数いるのであり、男が森から逃げることを許さない、もしくは世の中の女すべてがこの妻のような女である、という事を暗示して終わる。と要約してしまうということはある種の推理小説、つまり、検死結果を見ずにコートに仕舞ってしまう、森へ向かうときに一瞬映る叫び顔、などの謎の提示、問題が解決しないという謎解きの困難さ、衝撃的な事実が明かされるラスト、という物語進行としての受け取り方しか私はできていないということかもしれません。
カラスが鳴いた!みつかる!埋められる!のところはおもしろかったです。手に汗を握りわくわくドキドキでした。