日記
『ウ言論世』を読んでいるのですが1日3行くらいしか進みません。難しい本でもそれなりに雰囲気を感じて読みすすめることはできますがこの本は本当に意味がわからなくて雰囲気がつかめず同じ行を4日も眺めていることすらあります。雰囲気をつかむということができない、雰囲気をつかむということではわかった気がしない、7+4はおおよそ10、では、7+4を理解したことには全くならない、のと同じような、そういう本を読んでるような気になります。まあそれでも、それだけ詳細に書いていただけている、私は「論考」を大雑把に眺めていただけだったということを思い知らされている、と思って読んでいます。電車で読むと「論考」と比較して読めないのでそこもつらい。kindleなどに入れれば、えーとここは2.223を見たいな、となったら、すぐに、2.223に飛んだりできるのだろうか。kindleって1000冊分くらいpdfかテキストデータかを入れて、どの本の何ページにすぐ飛んだりできるのだろうか、そりゃあできるよなぁそうでないと意味がないと思いますができなくてもまあそんなもんだよな、と納得してしまうコンピュータの不便利さに私たちは慣らされてきており、こんなに便利なのか!とこっちが驚かされる、ということになったことはあまりなく、常に何らかの不便だけを感じているという人が多いのではないだろうか、というとそうとも言えないと思う。それぞれの場合によっていろいろだと思う。今日から毎日日記を書きます。
帰りに雨がたくさん降っていて驚いた。朝は全く雨の様子がなかったからだ。こういうときのために作業場には傘を置いている。3本ほど置いているのでそのうち1本を取り、傘を差して帰りました。作業場を出るころには強かった雨が、自宅最寄り駅を出るとほとんど降っていなかった。だから駅から家まではかさを刺して帰らなかったかというとそうでもなく、少し降っていたので傘を差して帰った。傘を差していると雨粒の音がそれなりにポチポチと聞こえるので傘の差しがいがあると思いました。家に着くころにはパラパラ言っていたので結構降っていたと思います。作業場を出るときにはちょっと寒かったが電車に入ると暑かったので上着を脱ぎたかったが脱がなかった。これにはわけがある。電車を出ると寒かったので上着を着る意味はあると思った。最近は夕食を7時前には切り上げ空腹のまま2時前には寝るようにしているので睡眠は充分のはずだが今日は特に一日中眠かった。深夜起きていると必ず結構大きな物音がありそのたびに、寝ててもこれなら起きてしまうだろうなあ、と思うので、おそらく寝ているときにこの音によって起きるか起きなくても眠りが浅くなりちゃんと寝れていないのだろう、と思ってしまう。こういう考えがどこに行き着くかというと、自分は貧乏だ、もしくは、自分を不幸にする考え、なので、難しい。とはいえこれは、人生の中ではほとんどない、考え方を変えれば状況が変わる、ことの中のひとつではないか、とも思います。