日記

健康診断結果、特に異常なし、体重が2年連続3キロ増えているので、いよいよ本格的に体重のことを考えることにします。イライラ茶効果も出てきているので来年もし健康診断をすることがあったら6キロは減っていると思う。それでもやせていたころに比べたら4キロ以上太っているのだから先は長い。健康のために体重減を考えています。ここで問題になるのは、もし健康のためには今より体重を10キロ増やさなければならないとなったら増やすのか、ということです。もしいまよりさらに10キロ太っている状態が健康だとしたら、健康の意味(身体が順調とされている状態)は変わるのではないだろうか。いまよりさらに10キロ太っている状態を健康が極まった健康頂点とすると、健康頂点のときの体重よりも10キロ体重が減った健康頂点よりは不健康な状態が、ベストな健康の状態ということに変化してしまうのではないだろうか。つまり、<健康>は、<純粋に>身体的順調性よりは、シュッとした見た目に多くを依存しているのではないか。しかし、不健康なら身体的には不調なのであるから、見た目はシュッとしないのではないか。だから健康は純粋に身体的順調性に最も多く依存するのではないか。健康こそが、シュッとした見た目、身体的審美眼を作るのではないか。だから、いまよりさらに10キロ太っている状態が健康の極まった健康頂点だとすると、この状態のときもっともシュッと見えるのではないか。それが健康ということではないか。あまりにも節制しすぎて欲求不満の塊になってしまえばその状態が健康とはとても思えない。しかし節制せず食事を取り身体に不調が出るようになるともちろん健康とはいえない。常にベストな体調を保つことは無理だとしても、生きている時間の総量の内、できるだけ長い時間を身体的精神的に良好な状態にしておきたい。その結果、自分の望まない身体的状態になったとしたらどうか。自分の望む状態ことが健康状態なのか。健康になると思うから自分はそれを望むのか。望んで行動したら不健康になった、というのは、ありそうなことだ。健康を目指して行動したら健康になったが自分の望まない状態になった。これはありそうなことだろうか?