日記

『〈私〉の哲林学 を哲林学する』

『メタ』『態度』を読み『比類』を通過して『転校生』で持続について考え「<私>」のことはなんとなくわかってきたつもりだけど、なぜそれが他人に伝わってしまうのか(私(林)が理解できてしまうのか)、それが他人に伝わってしまうとはどういうことか、が難しい、ということについて、『私今神』『なぜ意識』で「累進構造」として経過的に述べられていたことが、今回全面的に展開します。今まで途中経過を見せられてきたような気がする者、終わりのない累進構造というものに落ち着かない感じを与えられてきた者としては、今回の展開に、非常に大きな前進を感じました。もちろん、いままでも『私今神』『なぜ意識』を何度か読んできましたが、今回は、もう今から、積極的に『する』を再読して完全理解し、『私今神』や『なぜ意識』を理解しなおしたいと思えています。


特に、永井さんと入不二さんの、可能・現実・存在について述べられた「後から考えたこと」は、この本を読むことでしか感じることのできない、他のどんなことにも貢献しない、ここだけの独自の楽しさに満ちていると思います。永井さんのほうは切れ味が鋭すぎて若干説明図式的に受け取れなくもないので、入不二さんの真正面からの説明が落ち着いて考えやすいのですが、永井さんの切れ味は、完結した図式ではなく次の展開を期待させるものでもあるので、いつもどおり、ここだけでは終わらずこちらをどこまでも考えさせる力がある、と思います。