諦めない今年の夏は絶対に後悔しないって決めたから

後悔は後でするものだから、先にすることはできない。とはいっても、こうすると後悔するだろうなぁ、と思ってそうすると、やっぱり後悔した、ということはありうるから、後悔する前に、後悔しようと狙って後悔することはできる。

では、後悔しないと決めると、後悔しない、ことができるのだろうか。
後悔しないと決めるには、どのようになれば後悔するのか、どうすれば後悔しないのか、がわかっていなければならない。それがわかっているからこそ、後悔しないように決めることができる。とはいえ、後悔は1種類しかない、わけではないので、後悔Aを避けようと決めて後悔Aを避けることができても、そのことが後悔Bを生むかもしれない。後悔Aを避けることができたのは良かったが、後悔Bが生まれたことは良いことではない。もしくは、後悔Bをしてしまうくらいなら、後悔Aをするほうがまだよかった、と思うかもしれない。
後悔しないと決めて後悔しなかったとしても別種の後悔に陥るかもしれない、という状況は、ポジティブシンキングもしくは倒れるときは前のめりもしくはしないで後悔するよりやって後悔せよ、と言われる種類の状況であり、だから、この新たに生まれた後悔は、当初の後悔よりも良いもの、なのだろうか。それはやはり苦労主義というものではないだろうか。これを苦労主義と考えるのは低能力者の限界だろうか(→能力の高い人ほど自分の境遇は自分の努力と才能の結果だと考え能力の低い人ほど自分の境遇は偶然や運命と考える問題について)。

後悔しないと決めて後悔しなかったとしても別種の後悔に陥るかもしれない、という状況における2つの後悔は、重要さが異なる。後者については予想できない完全の未知の後悔だが、前者はこのままだと起こることがかなりはっきりとわかってる後悔であり、だからこそ今後悔しないと決めるわけで、この確実性と、後悔しないと決めて後悔しなかったとしても別種の後悔に陥るかもしれないという確実性を比べると、前者のほうが圧倒的に大きい。だから前者を避けることによって当初予想されなかった後悔が起こるとしても、予想された後悔を避けることは必ず良いことだと考えることは苦労主義ではなく、正しいものの見方だ、と言えるだろうか。

さらに、後悔Aを避けようと決めて後悔Aを避けることができたが、それは良くないことだった。後悔Aをするほうが良かった、と考えることは可能だろうか。ここまで来ると、やはり後悔は、あとで行うことしかできない、あとになって初めて感じることが可能になる感情であり、あらかじめ予想したり避けたりすることはできないもの、と言えそうな気になるが、そうだろうか。