感情を説明する

「よし!」と言うだけで子どもが生まれる能力を人間が持っていたら性欲なんて邪魔なだけだろうから性欲があることを性欲がないことよりも「種族保存」に有利という理由で説明するのは肝心の部分が抜けている、という考えは正しいだろうか。両生類爬虫類鳥類という流れ(?)の中で、自然的限界・偶然により、哺乳類人間は子どもを生むには性交が必要になった。だから性欲は必要なのであり性欲が弱い種は滅びた、という説明が間違っていないのかどうかについてはよくわかりませんが、だいたい性欲が弱いから滅びた種なんてあるんだろうか。「よし!」と言うだけではだめで性交が必要だとしてもそれに欲(感情)が伴わなければならない理由はない。感情や欲や理由が伴わなくても勝手に巣を作る蟻や鳥やビーバーとは異なり人間が行動するには精神的動因=感情ではないにしてもどうしようもなく突き動かされるものが必要でありそれを欲と呼ぶのだ、ということだとしても、性欲種保存説は、なんとも回りくどい、風を防ぐのに障子を張ったら障子が外れて破れたのでひとりは障子を支えもうひとりは手と足で破れ目を塞いでいる、といった説明であり、それなら最初からレンガの家を建てるのがまっとうというものだろう、ということにはならないかというと、もちろんならないだろうが……。
そうではなくて、滅びていないことを性欲存在の理由とするのは単純におかしい。こういうことが言えるのなら、眠さや食欲があるのは種の保存に必要だから、というのが説明として成立することになってしまう。人間には睡眠が必要なのであり寝てないから眠くなるのだし、人間には食べ物が必要であり食べないと空腹になり食欲が出てくる、それで十分でありそれ以上の理由は必要ない。性欲は睡眠や食欲と根本的に異なり性交をしばらくしなくても死なないので性欲の原因を不必要なまでにさかのぼってしまうのではないか。睡眠同様、なぜかある、もしくは、器質的(物理的)に偶然ある、ということでしかないように思えます。この文章は全体的に知識不足で混乱しているのでちゃんと調べて考え直すべきなのであとでそうします。これは人工甘味料や女性の能力の問題と同じで、感情や行動の理由を自然的物理的要因で説明するやり方はすべてどこかおかしいという気持ちがあるのですぐに反応してしまう気持ちをどこまで自然的物理的要因説に歩み寄らせることができるか、という日記のうちのひとつということになるのかもしれませんが今回は混乱しすぎだと思います。