お風呂に入っているとき(シャワーを浴びているとき)

太古の昔から今に至るまで(スペースシャトルの中でさえ(想像))、身体を洗うときには水を使う、ということを考えると、なんとも不思議な気持ちになる、ことがよくあります。相当テクノロジーの発達した今日なら、水に代わるもっと手軽な、身体を洗うための素材(道具)が発見・発明されていてもよさそうなのに、21世紀に入って短くない時間が過ぎた今日も相変わらず水で身体を濡らして体を洗っています。人類が最初に身体を水で洗ったのがいつかは知りませんが、おそらく人類の誕生と同じくらい古くから身体を水で洗っていたような気がします。こういう話題は気で話をしてはいけません。身体を水で洗うことはそれくらい画期的で普遍的な発見だったのか、物事には進化発達するものとしないものがある、だけのことなのか。平成も20年をはるかに過ぎた現在、身体を水で洗うことの普遍性――水道設備やシャワーの形状やボディソープやシャンプーリンスにテクノロジーを集結させる前に水で身体を洗うということそのものを進化させることができないのだろうか――に驚嘆する毎日です。驚嘆は嘘です。砂で洗う地域の想像はできます。