日記

書かないほうがよい話です。
最近ずっと能力の問題について考えてしまっています。絶対的な能力の差が人にはあり、その差の絶対性の前に絶望せざるを得ない、という思いにとらわれてしまいます。
まず第一に、そんなことを考えている暇があるのなら、自分にできること、自分にはできないけれど努力すればできそうなこと、について考え、日々少しでも自分の能力の向上を目指せばそれでよいのではないか、それで良いというより、自分にはそれしかできないのだから、それだけをやればよいのではないか、自分を限定している歴史的社会的身体的精神的諸条件のなかで、自分には行動を選択することのできる自由があるのか自由は無いのか自由があるとかないとか考えてしまこと自体間違いなのかわかりませんが、とにかく日々少しでも良い方向に迎えるよう、適度な配慮を怠らず努力するしかないのであって、できないことを思って絶望するなんて、無駄でしかない、という考え方があります。
これはとても説得力のある考え方ですが、ではなぜ、わざわざ無力や絶望を感じる、絶対的な能力差や(それについての社会的・個人的評価)、自分には到達できない達成について、何度も考えてその残酷さを味わってしまうのでしょうか。
どうしようもなく絶望的になったときには、「自由はない」派のスピノザ『エチカ』第3部第4部をよく読みます。