日記

http://d.hatena.ne.jp/breaststroking/20090430#p1
を読み、おもしろそうだ! と思ったので前から気になっていた前田塁『小説の設計図(メカニクス)』を買って読みました。結果、とてもおもしろく『犬身』や『点滅……』を(もう一度)読みたくなりました。おもしろければそれでいいのか、と思います。『かくも繊細なる横暴』は難しすぎて理解できず、『小説から遠く離れて』を読んでも小説を読みたくならず、『文学がこんなにわかっていいかしら』を読んで田中小実昌を知り『アメン父』や『ポロポロ』を買ってそのおもしろさに興奮し(興奮していません)、『「電通」文学にまみれて』を読みつつ取り上げられた小川洋子多和田葉子松浦理英子を読み(読んでいません)(3者とも『小説の設計図』で取り上げられている)、市川真人さんの小説講義を恥ずかしながらも聞いてしまった(「こういうのを聞きに来る時点で失格」と言われ、本当にそうだなあ、と思い(小説を書く能力を得るために私はこの講義を聞きに来たわけではないです……とは思いましたが)、こういうのを聞きに来ることしかできない低い能力を持った者という状況に居直っていたと思わされました。思わされたからといって能力が高くなるわけではないですが……)者として、久しぶりに読んで楽しい批評を読んだように思います。私にも理解できる本が少ないからです。
言ったことを守るため「もう小説は読まない!(難しすぎるから)」と他人にも自分にもわざわざ宣言したのに、数年経たたずに読まないことに飽きてなんとなく目に付いた『コインロッカーベイビーズ』や『抱擁家族』を読み、そのあとで『小説の設計図(メカニクス)』を読み、そのおもしろさに元気付けられ(コインロッカーはよくわかりませんでしたが……)、狭い領域に押し込められていくような進み方をせず、以前のように(そんな以前はありませんが)もっといろいろなことに興味を持っていこう、と何にも考えてなさそうな妄想をしていたのですが、興味を持てそうな情報をブックマークしていくうちに、何故これまで、小説を読むのをやめ映画を見ることすらやめるべきではないかと思わざるをえなくなっていったのか、理解できないまでもせめてウィトゲンシュタイン(ある人に言わせればニーチェを読むのは「中二病」でウィトゲンシュタインを読むのは「大二病」らしいですが……)だけに集中すべきなどと達成できない目標を定めたのか、をやっと思い出しました。私はすぐに忘れすぎる……。でも『犬身』と『容疑者の夜行列車』は読もうと思います。最近毎日映画を見ることができわくわくしているのですが、それに匹敵するくらいのわくわく感を『小説の設計図(メカニクス)』を読んでいるときにも感じたので。自分の中途半端さをこのへんで何とかしたいとすら思いました。