日記


数ヶ月ダラダラできなかったので、昨日の夜は早めに帰り、今日も何も考えずに一日家でダラダラ過ごす。


なんとなく想像する理想の状態はあるものの、そのような状態に到達するにはあまりにもハードルが高く(多く)、到達することは不可能なので、理想ではなくても、とりあえずはこの状態に達しておきたいという状態、というのを考えざるをえない状況に追い込まれました。現状に満足することが大事、欲を言えばきりがない、という考え方もあるとは思いますが、満足すべき現状・目指すべき状態にも程度はあり、家から一歩も出られないという心の状態や、他人と一言も話すことができない心の状態や、玄関を出るとたまたま玄関前を通りかかったふりをする組織の人間にいつも見られるという状態には満足すべきではないと思われます。ここで、しかし本当にその状態に満足すべきではないのか、と問うことも可能ですが、そのような問いを大真面目に問わないことが達したい状態の目標設定に含まれているのではないかと思います。そのような問いを問うてしまうと目標設定自体が成り立ちません。また、達したい状態があるということ自体、私の場合、最初から私ひとりだけで完結する基準以外の、一般(他人)的な基準が含まれているようなのです。目標の中に、他人にかかわることに関係する基準が少しでも含まれていると目標から外すということは、目標を設定するという行為と矛盾するわけです。単純に言えば、生きていくにはどうしてもお金が必要になります。もしかするといろいろな不満やさみしさは自分ひとりだけで解決できるかもしれませんが、お金は自分だけで作れません。他人から得るしかありません。そしてお金がなければ生きていくことができません。他人からお金を得るには他人のこと(他人に認められること)を考えないわけにはいきません。ひと月に5万円の収入(身寄り・肉親の有無など社会的諸関係の総体として収入)で満足すべきだ、という人は既にお金なんか一切なくても構わないと思える人と同じようなある種の出o家的な動きをしていないと不可能ではないかと思いますのでこれも程度問題です。それなら6万円なら満足すべきなのか。実は4万円でも余裕なのか。7万円なのか。10万円20万円30万円40万円どこに満足の基準を置くのかは特に興味が無いので考えませんが、お金のことをおろそかにすると恐ろしい現実が待っています。お金のことを一切書かずに映画の感想とピクリともおもしろおかしくない出来事と鞄にぶら下げておいた携帯電話のスイッチが偶然入ったような写真だけが更新される日記を書くのは偽善です。偽善ではなく嘘です。日記というのはそもそも嘘なのだから、という話もあるかもしれませんが、それも程度問題です。空中戦を得意とする助詞構成がストリートファイトで強敵を倒したり倒されたりという内容のおもしろいアニメーションをドキュメンタリー番組だと言う人はいないと思います。だからといってお金お金稼げ稼げと西腹さんのように言うもどうかと思うのは現実認識が甘いのでしょうか。お金と同じように健康やこころがまえや教育や挨拶も重要だと思います。コーラとハンバーグだけ食べていればそれで良いとは思わないし、2+3が計算できなくてもかまわないとは思わないし、誰に会っても「ヘッ」と軽蔑の笑みを浮かべてしまう癖を持っていても構わない、とも思えません。(もちろんそれらも「お金を得る」という目的に収束していくわけで、西腹さんはそれらのことを含めて言っていたのかもしれません。西腹さんの本を読んだことはありません。)最低限の基準はある。その最低限の基準を満たすことがあまりにも高いハードルだと思える現状がつらい訳です。このままでは確実に早くて10年後には破綻します。破綻ではなくお金がなくなります。20年後には確実に路頭に迷うでしょう。来年のことを言うだけで鬼に笑われるというのに10年後のことを言おうものなら今晩地震が起きて壁に潰されて死ぬかもしれないのでやめますというようなことを今までは言っていましたがもう言いません。まずここで確実に将来お金がなくなるという現状に満足するという退路を断つかどうか、そこを意識しなければなりません。具体的な話を言うと、こんなことを考えるくらいなら日本語文法のことだけを考えるほうがましなのであり(日本語文法に魅力を感じている皆様申し訳ありません)一生考えたくなかったのですが、貯金と保険を始めたいと思うので、どの保険に入りどこに貯金をすればいいのか教えてください。