映画がわからない


(結末に触れています)

  • 『グoラン・トoリノ』(六本木)2009 117 1800

簡易書留で届いていた郵便物を長期連休だというのに作業場最寄の郵便局に転送してしまったのでわざわざ通勤定期券を更新してその郵便局まで郵便物を取りに行ったのですが連絡に反してまだ届いていなかったのでまた木曜日に取りに行かなくならないのですがどうせならと思い六本木で『グoラン・トoリノ』を見ました。前作『チoェンジリング』のとき以上の前評判の高さに安心して映画に臨んだのですが、結果は『チoェンジリング』のとき以上に「わからない」でした。これは「わからない」と言いながら実は「良くない」を意味する「わからない」ではなく、まっすぐに「わからない」です。
映画を見るのに必要なのは何か。見るのに必要なのは目ですが、そうではなくて、感動するのに必要なもの、と言うべきかもしれません。もっと言うと、見た映画の感想を言う信頼すべきベテランの方々が最高と判断する映画を私も最高と思うためには何が必要なのでしょうか。と言ってしまうと、他人の感想と同じ感想を言うために映画を見ているのではないのですから、何のために映画を見ているのかわからなくなるのですが、信頼すべき見た映画の感想を言うベテランの人(小o林さん芝o山さん・蓮さん・うさちゃんピースさん・青o山さん・黒o沢さん・カロリー軒さん・サoムライさん・はoてなさん)がみな絶賛しているこの映画を見てポカン……、としてしまった私はもう映画なんか見ないほうがいい、映画を好きなふりをしないほうがいいのかもしれない、と思いました。映画は見ます。最近こんなのばっかりで非常にさみしい……。
映画の(感想を言う)偉い人(というとらえ方が既に間違っているのだとは思いますが)が良いという映画を良いと思えないことが何か重大な問題だと考えることはもちろん問題、一番の問題かもしれないのですが、それをいまは問わずにおきます。『グoラン』がいい映画だとして、いい映画をよいと思うためには、目以外に、何が必要なのでしょうか。今までに見た映画の本数でしょうか。知性でしょうか。知能指数でしょうか。映画技法に関する知識でしょうか。教養でしょうか。人生経験でしょうか。読んだ映画評の数でしょうか。いまさら「映画は私には合わない」「映画自体あんまり好きじゃない」とは言えないほどには余暇を映画で過ごしてきたような気がちょっとだけしない、むしろ全然しませんので、休みの日にたまに映画をちょろっと見る程度ではわからない種類の映画なのでしょうか。私にも一応好きな映画はあって、毎日昼休みになると本屋さん(小さい本屋さんです)の映画の本のコーナーに行って、思い出すだけでいてもたってもいられなくなりなんとか早くまた映画館で見たいものだと思う好きな映画について書かれた本を読んだりします。それはまあ嘘ですが、まだ見ていなかったので今までは意識的にちゃんと読まずにいた感想を今日ざっと見たところ、詳しく書いている方が意外とおられなくて、「とにかくすごい」だったので、どこがどうすごいのかわからないので困りました。詳しく書いている方もおられたのですが、どうしてそうなっていたら凄いのか、がわからなかったので結局わかりませんでした。
これは「無知の知」=みんながすごいと言っているけれど私は正直にわからないと言うそのぶんだけ私はみんなより知恵があるのだ、と言いたいわけではもちろんありません。でも、ふつうわからないことをわからないわからないと偉そうに言うことはしません。わからないならわからないにふさわしく何も言わなければ良いだけです。それがわからないということの意味でしょう。つまり、わからないとわざわざ言う事のうちに、どうしても「無知の知」的ひけらかし・居直り、があるのではないでしょうか。とも思いますがそこまで自分をおとしめなくてもよいのではないかと思います。よいのではないかと思いますと書きましたがもう思ってしまったのでこの件についていろいろ考えてしまうと思います(思いません)。そうではなく、ドリブルの練習を毎日2時間ひと月やれば誰でも20mの距離を走りながらドリブルできるようになる、と言われているのに、私は毎日2時間3ヶ月やってもいまだにすぐ足にボールが当たってしまってドリブルできない、というのに似た問題であって、無知の知とは違う問題のように思います。映画を見ることとドリブルはもっと違います。あと毎日2時間3ヶ月のドリブル練習に匹敵するほどの映画練習をしたわけでもありません。映画は練習ではないですが。


まず殴るシーンです。これはわくわくするな、と思いました。玄関から顔を出したところで襟(忘れました)をつかんで引き出し倒して殴りつける!バシッドカッと効果音つきでEWさんが殴る!いつものあれです。これはいいな、と思いました。これがなぜいいのか?別に良いわけではないのではないか。とも思えます。でもまあ良かった。無理矢理ですみません。殴ったり殴られたりするのが好きなわけではありません。バシッズカッは良かったです。しかし、EWさんのいままでの映画では相手が殴り倒されたり降参したりすればそれでめでたしめでたしなのですが、今回は脅しているだけで何の問題の解決にもなっていないどころかさらに酷い事件が起こることを確実に予想させるだけの殴りなので不穏な気持ちが増大します(相手に銃をまっすぐに突きつけすごむところは『許oされざる者』で最後撃っちゃうシーンを思い出しますが、さすがに『グoラン』では撃ちません=相手は生きたままですし)。それはどんなほのぼのした場面があっても、少年の成長が優しく描かれている場面でも(少年が隣の家の屋根や壁を直しているのを玄関先でタバコをすいながら見つめるEWと2重映しになって音楽が流れるあのシーンはなんですか……。こういうのもはじめてみました)、最後までなくなることがありません。最初から最後まで不穏な空気が決して去らないため、感動やで!という気持ちになることができません。
つぎに少年の姉がなんというかスター性にとぼしい(すみません……)のに、恐ろしく魅力的、と言うと、魅力があるならスターなのではないか、ということになるのかもしれませんが、とにかくお姉さんが良くて見とれてしまう。全然見とれないのですが、好きになってしまいます。男たちに絡まれるシーンでは怒りに油を注いでどうするの……、映画では良くこういうシーン見るけど本当にこういうこと言う人っているのかな、これで逃げられたりするのかな、私にはわからない領域の話ですが、という気持ちになりますがそれ以外では好きになってしまいます。好きになってしまいますが、太いし綺麗とは言えないです。でも好きです。
ラストはもう完全に『許oされざる者』『荒o野の用o心棒』を期待したので事が終わってもまだ信じられませんでした。ここで立つんですよ、ということにならないためなのかどうか、貫通するところがはっきりと描写されるわけですが、それを見てもなお、立ちあがり、全員倒す場面を想像してしまったので感動できないのでしょうか。
断片的な感想なら『チoェンジリング』にくらべわりとよく出てくるのですが、感動とか最高とかいう感想にはなりません。『目o撃』や『ブoラッドワoーク』は大好きですし、『リバー』や『ベイビー』は好きとはとても言えないながらもとてもよかったと言える映画ですが、『リング』や『グラン』はどう考えればいいのかわかりません。私は映画がわからない人なのだと思います。心の底から残念な気持ちでいっぱいです。